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![]() ![]() ≪4/19開催JICC日本大使館広報文化センター共催「邦画上映会」≫ "昭和33年 東京"のサブタイトルで始まるこの映画は、戦後まもない、未だ決して裕福とはいえない時代に、東京下町に暮らす個性豊かな人々が織り成す感動と希望の物語で、同年に完成する東京タワーが徐々に大空に向かって伸びながら、現在のシルエットを形成していく姿が、時代風景の象徴としての役割を担っていた。 当時の町並みがセットで組まれ、都電が走りCGを駆使した演出は、映画の世界とはいえ、その当時にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。 映画に登場する小道具で、当時の文化的生活を象徴する電化製品の、所謂、三種の神器として、「白黒テレビ」、「冷蔵庫」、「洗濯機」が登場するが、我が家でも、私が幼稚園の年齢の頃、電器屋の店頭にテレビが展示されていたのを家族全員で見に行き、兄弟から最年少の私に両親にテレビを買うことをせがむように言われたことを今でも覚えている。 テレビが家に届き、チャンネル争いをしていた時に、何度もガチャガチャと激しく回し過ぎていたためプラスチックの一部が欠けてチャンネル部分が取れてしまったことがあった。この映画の中でも、突然、画像が消えたため電気屋を呼ぶ前に完全に分解してしまい、元通りにできなくなったことを悟った主演の吉岡秀隆氏が狼狽した時の気持ちをフッと思い出した。 また、当時の冷蔵庫は電気製ではないので、隣の氷屋(職業として存在した)の氷室から巨大な氷塊を取り出し大きなノコギリの歯でシャッシャッシャッと切ってもらい買ってきた氷のブロックを入れて冷やすといった今では滑稽にも思えることが日常の生活だった。 洗濯機も、脱水機能は自動ではなく、濡れた洗濯物を洗濯機に付属した二本のロールの間に一枚ずつ入れてハンドルを手で回して水分を絞り取る仕組みが当たり前だったのを思い出した。 この映画とほとんど同じ時期に幼少期を過ごした私は、北九州の八幡市(当時)の枝光(えだみつ)で生まれ育った。 洞海湾に沿った枝光は、以前は小さな漁村だったと聞いたが、1901年創業の八幡製鐵所(現、新日本製鐵所)発祥の地と言われ、北九州の中では極めて存在感のある地名であった。 自宅の窓から見える八幡製鐵所の一大工場群の煙突からモクモクと噴出す原色に近い七色の煙は、日本の高度経済成長期を支えていたその時代の北九州の発展を象徴するもので、子供心にも目に焼き付いて忘れることはできない。 小学校の社会科の教科書でも、「日本の四大工業地帯のひとつである北九州工業地帯は、・・・」と誇らしげに記載されていた。 北九州市は、1963年(昭和38年)2月10日に、当時の門司、小倉、八幡、戸畑、若松の5市が合併し、人口が100万人となり、同年4月1日に政令指定都市となった。 合併と同時に、それを祝う大きな祭典があり、後に俳優高倉健の夫人となった歌手江利チエミさんが歌う北九州音頭は、神津善行氏が作曲した軽快なリズムで、今も口を衝いて出てくるほどはっきり覚えている。 北九州市の産業が日本経済の屋台骨を背負っていると自負する歌詞は、「♪ 燃ゆる思いか 北九州の 空に立つ虹 空に立つ虹 湧く煙、黄金(こがね) 黒金(くろがね) 五つの町の 息も揃って 日が昇るさ、サッサ百万 心はひとつ パッと それぞれ 花の輪に 花の輪に・・・♪」であった。 当時、枝光の八幡製鐵本事務所周辺の道路は、朝夕、製鐵所の職工さん達が自宅と職場を往来する時間帯は、人が横切れない程の賑わいだったと、感慨深く話す人がいた。 このような自分の子供の頃の原体験と重ね合わせて、八幡製鐵所工場群の背後に毎日ゆったりと落ちていた巨大な真紅の夕日を回想しながら、この映画を楽しんでいた。 現在、製鐵所が一掃された跡地にはアミューズメントパークのスペースワールドが建設され、ジェットコースターから黄色い喚声が聞こえてくるのみである。 今は昔、『ふるさとは遠くにありて思ふもの、そして、悲しくうたふもの・・・(室生犀星作詩)』、故郷に戻る度に感じるのは、北九州市に、当時のような活気溢れた面影を見ることは全くないことである。 学園都市や特定の産業を起爆剤として、又、アジアのゲートウェーとしての特異な存在感をもっと示して欲しいと願っている。 お蔭様で、JICCとの初回ジョイント邦画上映会は、座席数150席が満杯となり、補助のパイプ椅子が必要となる盛況振りだった。 映画は、米国の方々や日系アメリカ人の方々にも楽しんで頂けるよう、英語のサブタイトル付きを選択しており、上映後も、これらの多くの方々から同映画のDVD入手の方法や撮影の技法についてご質問を受けた。 今回は、上映後に、軽いスナックとドリンクを準備し、ご歓談頂いたが、これからも、より多くの商工会会員の皆様に楽しんで頂き、また、この機会を利用して米国人や日系米国人の参加された方々との交流を深めて頂ければ幸いである。
ワシントン日本商工会
企画行事担当:森永 彰
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