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![]() ![]() ≪2007.8.9開催JICC日本大使館広報文化センター共催「邦画上映会」≫ ワシントン日本商工会とJICC日本大使館広報文化センター共催で今年4月から始めた邦画上映会は、今回で5回目を迎えた。 夏休みシーズンに相応しい内容の「ウォーター・ボーイズ」である。 この映画は、男子校の埼玉県立川越高校の水泳部が、1986年から文化祭の演目として実際に行っているシンクロ公演がモデルで、“男のシンクロ”というユニークな題材をもとに、高校三年生の男子生徒達の切なくも可笑しい夏休みを描いた青春映画だ。 シンクロ演技中の音楽には、PUFFYの「愛のしるし」、フィンガーファイブの「学園天国」、ベンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」の他、「カルメン」、「オンリーユー」、「あなたのとりこ」、「伊勢崎町ブルース」など、どれも懐かしく青春時代を髣髴させるものばかりで、思わず体でリズムを取り口ずさんでいた。 話は反れるが、男子校に通っていた高校生の頃を改めて思い出した。 時代は少し遡るが、私が通っていた私立男子校はバンカラがモットーで、三年生の頃から長髪が許されたが、それまでは全員坊主頭で、通学は下駄履き、私は、校庭を共用し学校に隣接する寮生活をしていたので、カバンは無く教科書も手に提げスリッパで登校していた。昼休み時間は、校庭のグラウンドで毎日、裸足で(本当の話!砂利敷きなので今では痛くてとても歩くこともできないが)サッカーをしていた。 校庭の端は、その昔、錦江湾の波打ち際で、皆で砂浜に座って昼食をしていた写真を見たことがあるが、当時は、既に埋め立てが進んで、産業道路が走り、材木工場群やテニスコートが新設されていた。 地元から通う生徒もいるので、全寮制ではないが、地方組は初め全員寮に入り、二年生くらいから下宿に移る者が増え、三年生まで寮に残ったのは8名で、屋根裏部屋を改造したカーテンひとつで間仕切られた個室(?)が与えられた。友人が下宿に移る時にはリヤカーに荷物を載せて引越しを手伝った。 高校寮では、勉強部屋と称する大部屋に100個程の小さい机・椅子と本棚がひとつずつ割り当てられ、両サイドの窓際に二年生が席を占め、真ん中に一年生の席があるように配席され、全員を見渡すことができた。寝室は、小体育館のような建屋に二段ベッドがズラーッと並べられていた。夜11時には勉強部屋の電気は消され、毎朝、起床係が手で持って振り鳴らす鐘の音で目を覚ましていた。最近は、流石に、数人一部屋或いは個室の部屋となっているようである。 三年生の屋根裏部屋の各人の部屋には、物置の棚だったスペースに畳が一畳配置され、そこに布団を敷き、小さな机・椅子と本棚がひとつあるのみだが、兄弟が多く自宅では個室を持てずプライバシーの空間がなかった私は、自分だけの小さな城を持てたような気分で、結構、快適な気持ちで生活していた。 或る時、部屋に異様な臭いがするので、何かと探して布団の棚の下に置いていた本を入れた段ボール箱の中に、そっと手を入れると、柔らかいものをグニュッと掴んだ。思わずワーッ!と叫んだが、ネズミが死んでいたのだ。 15年前に卒後20周年の同窓会が鹿児島で開催された時、屋根裏部屋が懐かしく訪ねたところ、施錠されて中には入れなかったが、曇り汚れたガラス越しに覗くと蜘蛛の巣だらけの廃墟と化した単なる屋根裏の物置部屋が見えた。今では、そこが三年生の寮として使用されていたと思う者は誰一人としていないだろう。 悪友の一人が屋根裏部屋の寮に、焼酎と日本酒を抱えてきた。それまで酒を飲んだことが無かった(未成年だから当然)ので、コップ一杯ずつそれぞれをグイッと飲み干したところ、何とも無いので、酒って思っていたほど大したことはないなあと油断していたところ、30分位して、立っていられない状態になり、そのまま布団へ直行すると目がグルグル回って翌朝(土曜日だったのでよかったが)は完全に二日酔い。それから、二度と酒は飲まないと心に誓った。そのせいもあってか、学生時代を通じてどうも好きになれなかった。その誓いを破ったのは、社会人になってからであった。 寮の食堂には、8人掛けの木製テーブルがいくつもあり、テーブルの上には必ず、どんぶり茶碗に一杯入った、においの強い納豆が置かれ、しょうゆとソースが混じった「しょース」と書かれたプラスチック製の入れ物(食堂は中学生と共用だったので誰かがイタズラしていた)があった。自宅では、納豆を誰も食べなかったこともあり、それ以来、納豆を進んで食べる習慣はない。 寮に入って一番驚き感心したことは、毎日、洗濯をしてくださったおばさん達である。下着をはじめ衣類には自分の番号(確か305だった)をマジックで大きく書くことが決められており、洗濯室前の大きな籠に入れておくと、おばさん達が洗濯してくれて、各自の番号の棚に置いてくれるのである。入寮した時に、一度、挨拶しただけのはずなのに、初めて洗濯物を受け取りに行った日、顔を見せただけで名前を言う前に、ニコニコしながら、「はい、森永さん!」と言って、直ぐに305番の棚から取って渡してくれたのである。中学生も隣接した中学寮にいたから、200名近い生徒の洗濯をしていたと思うが、あの時は、おばさん達をずっと尊敬し、心から感謝していた。 学校と寮の正面に鎮座する雄大な桜島が噴煙を上げるのを毎日眺め、多感な時代を過ごせたのは、幸せなことだったと思う。桜島の周囲は、およそ40kmあるが、夜間行軍といって、一年に一度、夜を通して全員徒歩で一周するのである。途中で眠くなり、溶岩の間に落ちそうになったことも楽しい思い出である。冬に、桜島が真っ白に雪化粧をしたことがあったことも印象深く記憶に残っている。 高校時代の思い出は尽きないが、「ウォーター・ボーイズ」に出てくるように、必ず、近くの女子校との交流ということが気になるところである。運動会は、棒倒し・騎馬戦・応援合戦・ローマ時代の騎士に仮装しての戦闘など、男子校ならではの迫力ある出し物が多く、女子高生も多く見に来ていた。しかしながら、映画のように母校のすぐ近くに女子校はなかったので、当時は、あまり交流は無かったように思うが、最近は、時代も変わって少し盛んになってきたかもしれない。 「ウォーター・ボーイズ」のモデル校がある首都圏の埼玉と、当時日本最南端鹿児島の男子校の違いはあるにしても、つくづく、「今は昔」という思いがしてならない。 お蔭様で、JICCとの共催邦画上映会は、回を重ねるごとに、盛況さを増し、担当者としては嬉しい限りであるが、今回は座席数150席が直ぐに満杯となり、補助椅子も足りず、立ち見や前列の床に座ってご覧になった方々、また、諦めて帰宅された方々も多くおられ、ご迷惑をおかけしたことを、この紙面をお借りしてお詫びを申し上げたい。事前に申し込みをされていても、天候によって申込者数の三分の一から半数に減る場合もあり、当日キャンセルして来られない方々の人数を読むことが非常に難しく、JICCの方々には大変ご苦労をおかけしているが、できるだけ多くの方々に楽しんで頂きたいとの思いもあり、定員より少し多めの受付をしていることをご理解して頂ければ有り難いと願っている。 今回、上映前にJICC伊藤所長とJCAW増田会長の挨拶でご披露したが、皆さんにより親しんで頂けるよう、今後、同共催映画会を、愛称“J・フィルム・シリーズ”と呼ぶことにした。 今回は、上映後に、軽いスナックとドリンクを準備し、ご歓談頂いたが、これからも、より多くの商工会会員の皆様がこの機会を利用され、米国人や日系米国人の参加された方々との交流を深め楽しんで頂ければ嬉しい限りである。
ワシントン日本商工会
企画行事担当:森永 彰
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