「10月度J-Film上映会 : ベアテの贈りもの」


連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)において日本国憲法起草に携わり、男女平等を謳う第24条を実現させたベアテ・シロタ・ゴードンを巡るドキュメンタリーフィルムである「ベアテの贈りもの」の上映会およびベアテさんご自身による講演を10月16日にJICC講堂にて実施しました。

シロタという名前は日本人みたいですが、ウクライナ系の苗字。お父様は「リストの再来」と絶賛されたキエフ生まれのピアニスト。欧州ではユダヤ人が暮らしにくくなりつつあった時代に、東京音楽学校(いまの東京芸大)に招かれた関係で、ベアテさんが5歳だった1929年から東京での生活が始まります。乃木坂にあったシロタ家で10年暮らしたベアテさんは開戦前夜の1939年に大学進学のために単独で米国へ。当然のことながら、交戦中の日本から学費の仕送りなど来るわけないので、彼女は日本の通信内容を聴いて翻訳するアルバイトで学生時代を乗り切ります。戦後は日本に残ったご両親を探すべく、日本語の能力を活かしてGHQの調査員のポジションに応募し、焼け野原の東京に戻ったときのベアテさんは弱冠22歳。終戦直後の冬の話でした。

しばらくしてベアテさんたちは「7日間で新憲法の骨子を作成せよ」という極秘任務を受けます。ベアテさんは日露独仏英西の六ヶ国語に堪能だったので、いろいろな国の憲法を参考にできたと言われています。それぞれが手分けをして作業するのですが、ベアテさんはGHQの中でも当時珍しかった女性ということもあり、男女平等の部分と社会保障の担当を受け持ちます。女性の権利が明確に認められていなかった戦前の日本と、すでに女性の社会進出が始まっていた留学先の米国の双方を知っていた彼女は張り切って当時ではもっとも進んでいた内容を起案したそうですが、憲法はあくまで大枠を記述するものであって、細かいことは別途定める民法等で記述するべきという考えや、その後の日本政府との折衝で削除されたそうです。それにしても、法律の専門家ではない数十名からなるグループが1週間で日本国憲法の骨子を作成したというは驚きです。36時間ぶっ続けで日米双方の担当者が会議室にこもって内容を詰めた話などはまさに歴史の生き証人だけが語れる内容でした。85歳を過ぎてもいきいきと語るベアテさんのお話は、まさに知られざる近代史の1ページでした。

企画行事担当理事・吉村亮太


(加藤 里美氏撮影)