

21世紀における日本と中国
- ともに繁栄し、恩恵をうけることができる関係 -
在米国大使館公使(財務班)中尾武彦
(注)本稿は、本年10月28日の夜、在華中国人の親睦団体であるThe DC China Club の夕食セミナーに招かれて行ったプレゼンテーションを編集したものです。セミナーでは20数名の中国人(米国留学後当地で仕事をしている人が中心)と若干の米国人、日本人が参加しました。日本と関係のある人も多く、終始なごやかで、質疑応答も熱心でした。日本、中国、米国の関係は在米の日本人の誰しもが興味を持つテーマであり、本稿が1つの見方を提供するものとして、少しでもご参考になれば幸いです。なお、本稿の意見に及ぶ部分は筆者個人の責任であり、日本政府あるいは大使館を代表するものではありません。
- .序
21世紀前半の世界における注目点は、ほかにもいろいろあろうが、とりあえず中国の経済面を含めたグレート・パワーとしての勃興と冷戦後の米国の1国によるスーパーパワー化が最も重要ではないか。
現在の米、日、中の経済規模は、現在の為替レートで換算しておおむね10:4:1.5程度であるが、2050年にはこれが逆転し、中国が50、米国が40、日本が10になるという試算もある。もっともこれは、日米が1人当たりGDPで毎年2%程度の成長に対し中国が7%から3.5%まで減速しつつも高い成長を続ける、中国の為替レートが切り上がり続ける、日本の人口は現在の1.3億人弱から1億人に減少する一方、米国は2.9億人から4.2億人に増大、中国も13億人弱から14億人強に増大、など単純な仮定に基づくものであるが。
中国の目覚しい発展、日米を含む各国との貿易、投資関係の高まり、WTOなどの枠組みへの参加、軍事面の強化などが注目されており、ワシントンでも東京でも中国は、学者、政府関係者、ビジネス関係者などの最大の関心の1つである。中国、米国と深い関係を有する日本としては、両国と友好関係を維持し、ともに繁栄することが最も重要な課題である。
- .日本と中国:歴史的な視点
(日本人にとっての中国の歴史と文化)
日本の世界史教育は非常に包括的であるが、アジアに関して最も力点が置かれているのは、もちろん中国史である。高校の中国史では、殷、周から清までの中国の各王朝について、いつ、どのような乱を経て、誰が新しい王朝を始めたのか、各時代にどのような政治、文化、商業活動が営まれたのかが教えられる。折角の知識をその後ほとんどを忘れてしまったことは残念だが、その後中国関係のテレビを見たり、本を読んだりするときに、一度でも包括的に中国史を学んだことは重要な基礎になっていると思う。文化面では、漢文という科目もあった。孔子、老子、孫氏をはじめとする思想家や唐をはじめとする詩人の名文をたくさん勉強した。今でも「少年老い易く、学なりがたし」などの文章は私自身の教養の一部になっている。日本では、紅楼夢、金瓶梅のような「退廃的な」小説まで昔から人気がある。
日本の中国に対するイメージの1つは、このように偉大な文明国、それを支えた大人(たいじん)達の国というものである。実際、明から清のある時期まで、すなわち18世紀の康熙帝、乾隆帝のころまでは、技術、軍事力、富などの点で中国は西洋よりも進んでいたとも言われている。残念なことに、アヘン戦争以降の中国を日本より遅れた国、貧しい国として見る時期があったことは事実である。しかし、今やそれが再びポジティブな方向に変わろうとしていることは勇気づけられる。
(日本の文明の独自性)
一言で言うと、日本は漢字、仏教、儒教、法律制度から始まって中国から実に多くを学び、その文明を評価してきた。しかし、一方で日本が中国の文化圏に過ぎず、その周辺であるという考え方があるとすれば、誤りである。
日本と中国の文明の違いは例えば以下のようなところにも現れている。文化面では、例えば豪華さ、カラフルよりも簡潔さの尊重、かなを使うことによりニュアンスを重視する言語、木や森や岩まで神にするアニミズム的な宗教観、生活に直結したところではより多くの自然の素材をできるだけそのまま生かした食事、などである。これらは、中国や韓国からの文明が入ってくる以前の日本の土着の人々以来の文化が残っているものと言う学者もある。
政治制度に関する違いとしては、日本には、少なくとも12世紀以降に19世紀の世界への開国までの間に関する限り、天皇というより象徴的な機能を有する君主と、天皇に任命された武士のヘッドとしての将軍による二元的な制度があったことが大きい。これにより、天皇系による連続が保たれる一方、武士の勢力間の争いにより3つの幕府政権が交代した。武士どうしの争いであるから農民や商工業者にはあまり関係がなく、全体としてみれば平和な国だったと言える。
中国の政治制度を特徴付ける皇帝の絶対的な権力、それを裏付ける科挙、宦官といった制度が日本にはなかった。近代以前に西洋、日本とも門閥をベースに高官を登用していたときに中国が古来試験によって広く人材を求めていたというのは革新的であったが、あまりにも中央集権的、実践的というよりは教養重視的な任用制度は、社会の進歩を妨げた面もある。一方で、日本での将軍と大名達、大名達と重臣達の関係は、西洋の騎士制度と同様、封土の安堵と忠誠の取引という契約的な要素を持っていたと言えなくもない。
このような政治制度の違いも反映し、日本では中国に比べて、天皇、将軍を含めた支配層への富の集中、贅沢、華美な生活の徹底度は限られていたのではないかと思う。したがって、社会階層間の格差、教育の違いも比較的小さく、江戸時代には、町人や、そして農民でも地主階級だけではなく自作農階級まで読み書きそろばんが普及して明治維新の前から既に世界一の識字率を達成していたと言われている。
結局、日本は、本格的な王朝ができた7世紀以来、中国の影響を多く受けつつも、独自の文化と文明を発展させ、独立と独自性を維持してきたと言える。
(近代における日本の成功)
日本はなぜより早く近代化に成功し、独立を保ったのに、中国は遅れをとって西洋や日本の植民地主義の犠牲になったのかという問題は、中国人にとっては屈辱的なテーマかもしれないが、歴史から学ぶという点から考えて見る必要がある。アヘン戦争での勝敗などの偶然の要素や、中国のほうが日本より西洋の帝国にとって魅力的だったというような理屈付けも可能だろうが、もっと重要な理由もいくつか見出せる。
1つは、日本が1840年〜42年のアヘン戦争、南京条約を教訓として、欧米のパワーを認識し、強い危機感を持ち、近代化の必要性に目覚めたこと、2つは、先ほど述べたように、大きな変革のために天皇への統治権の返還という形でスムーズなレジーム・チェンジが可能だったこと、3つは、維新以降比較的実践的な哲学を持っている武士を中心に、若い有能な人材を積極的に登用したこと、4つに、もともと日本は他国に学ぶ姿勢が強いが、明治維新以降、政府高官の2年にわたる欧米視察、お雇い外国人の採用、留学生の派遣などを通じて、短期間の間の近代化に邁進したこと、などである。
(日本の戦争についての反省)
日本人は上記のような日本の独自の文明、文化の発展、明治以降の近代化の成功、それが非西洋諸国民に与えたポジティブな影響などについて、誇りを持ってよいと思う。一方で、日本の歴史の最大の汚点、失敗は、第2次大戦にいたるまでアジア諸国への侵略行為や植民地支配を行いアジアの近隣諸国等の人々に癒しがたい傷痕を残したこと、そして米国などの連合国との間で無謀な戦争に突入し、多くの人命を失い、国土を荒廃させたことである。
この点について、日本は過去の十分な反省をしていない、謝罪をしていないと言われることがあるが、事実ではない。戦後50年に当たっての1995年の村山総理による談話では、それまで以上に明確な形で「我が国の侵略行為や植民地支配(acts of aggression, colonial rules and the like)」についての「深い反省の気持ち(my profound remorse) 」に立って、「不戦の決意(no war commitment)」を表明している。以降、これが日本政府の公式スタンスであり、本年4月のインドネシアにおけるアジア・アフリカ首脳会議において、小泉総理も「植民地支配と侵略」がもたらした「多大な損害と苦痛」について「痛切な反省と心からのお詫び(feeling of deep remorse and heartfelt apology)」を表明し、「こうした歴史的な事実を謙虚に受けとめ」なければいけないと明確に述べている。
政府以外の一般のレベルでも、日本は歴史をきちんと見ていない、伝えていないというのは、誤りであると思う。日本の書籍、新聞、テレビなどを公平に見れば、日本人がいかに先の戦争のことを悔い、なぜそのような侵略と戦争に至ってしまったのかを振り返り、当時の意思決定システムのどこに問題があったかを検証し、それらの反省を将来の世代に残そうとしているのか、が分かる。戦争を実際に経験した世代が高齢化する中で、戦争の悪夢を将来に伝えようとする努力は、最近年において、むしろ盛んになっているようにも思える。
もちろん、言論の自由が保障されている以上、いろいろな意見を言う人がいる。しかし、一般的に日本にナショナリズムが強くなっているということはないと考える。もっとも、あまりいつまでも他国から謝罪を求められると「これだけ謝罪をし、ODAをはじめとする様々な協力もし、平和主義に徹して戦後60年も経つのに、いつまで隠忍自重すればよいのか」と、日本としてより強い主張をするべきだと考える人も増えてくる。
ちなみに、日本は中国に対し、2004年度までに3.5兆円に上る援助(ODA)を行い、中国の改革、開放、経済成長を支援してきた。特に、円借款については、1978年の日中平和友好条約による国交回復を受けた1979年の第1次円借款(1979年度〜84年度)以降多年度方式を採用することなどにより、2004年度までに累計3.2兆円の供与(全世界計の14%でインドネシアに次いで第2位の被供与国)を行い、空港、港湾、道路、鉄道など、経済発展の基礎となる経済インフラの計画的な整備を助けてきた。このようなことは、中国の一般の人にももっと知ってほしいと思う。
日本では自衛隊をイラクの復興支援に送るなど、国際社会への貢献の観点から、あるいは日米同盟の堅持の点から、平和憲法の制約の範囲の中で、安全保障面でも「普通の国」になろうという傾向が強まっている。しかし、これは軍国主義とは明らかに異なるものである。
日本は極端なナショナリズムが自国の国民と近隣諸国の国民を犠牲にし、また、日本の国際的な信用を地に落としてしまったことに本当に懲りている。また、軍の肥大化、暴走にも本当に懲りている。中国や韓国などにおいても、日本の政策や国民の声を正確に伝え、日本の謝罪と反省を受け入れていってほしいと願う。そして、ナショナリズムがお互いの関係を損なうことにならないよう、ともに努力していくことが必要である。
- .日中経済のインテグレーションの進展
(相互依存の現状)
日本経済と中国経済のインテグレーションは相当進んでいる。貿易関係を日本側から見ると、2004年において、対中貿易(香港を含む)は、輸出が対世界総額の19.3%、輸入が総額の21.1%である。輸入相手としては中国は最大であり、輸出相手としては米国の22.4%に次ぐ第2位だが、2005年には最大の輸出先になると考えられている。中国にとっても、日本は米国、香港に次ぐ第3位の輸出相手、最大の輸入相手である。
日本から見て、中国との貿易はほぼ輸出と輸入がバランスしており、しかもそれらは毎年大きく伸びている(2004年は輸出、輸入とも17%の伸び)。数年前は、工場の中国への移転が盛んに報道され、空洞化への不安、中国経済の脅威といった議論がはやったが、今は多くの日本人が中国を機会ととらえている。消費者にとって質のよい製品をリーズナブルな値段で買える機会であるだけでなく、企業にとっても重要な輸出、輸入のパートナーである。
米国の中には、米国が対中で大幅な赤字を抱えていることもあり、中国を経済的脅威ととらえる考え方が日本より強いように思われる。最近、米国では、米国の対中赤字は実は対日赤字でもあるとの議論がなされることがある。すなわち、日本から中国へ貿易赤字がシフトしただけで、日本から中国に部品が送られて組み立てられ、それが米国に輸出されて米国の貿易赤字が膨らむとの議論。しかし、このような単純化はいくつかの点で誤りである。第1に、日本自身が中国から、衣料関係から電気製品まで多くの製品を輸入している。第2に、実際日本から進出した企業の現地生産の売り上げのうち、約半分は現地での販売であり、残りの4分の1ずつを日本向けの輸出と米国等第3国への輸出が分け合う形になっており、特に米国に向かっているわけではない。第3に、中国での生産拠点からの輸入を最も活用しているのは、米国企業である。
投資関係を見ると、中国は2002年以降米国を抜いて世界最大の直接投資の受入国となったが、香港が3割以上のシェアを占めるほかは、日本、米国、韓国、台湾が上位を占める。
(日中経済の補完性)
2つの国で得意な産業の領域が重なっている場合、すなわち両国の産業構造が競合的である場合には、1つの国の生産の拡大はもう1つの国の経済的不利益を招くことがある。しかし、日本と中国のように、お互いの産業構造が補完的である場合には、より端的にプラス・サムの発展を期待することができる。日本は、精密な部品、特別な素材、高級消費財(乗用車などの耐久財、化粧品などの消費財を含む)などに競争力がある。中国には、良質で均質な労働力、大きな技術者のストックがあり、これを生かした様々な消費財に競争力がある。
観光や文化産業では双方向での交流を発展させることができる。日本人が中国への旅行を楽しんでいるのは1980年代からだが、最近中国人の日本への観光がまだいくつかの条件付ではあるが解禁され、日本の観光業界も受け入れに熱心なことが報道されている。中国の人々が京都や富士山を見物し、日本の人情に触れ、日本の良さを肌で感じてもらうことができるようになることはうれしいことだ。
日本には大学・大学院レベルでおよそ11万人の外国人留学生がいるが、そのうち7万人は中国人である。また、多くの日本人が中国で勉強している。かつて日本で第2外国語と言えばフランス語かドイツ語だったが、今や多くの大学で中国語を選択する学生が一番多い。
- .アジア地域での協力の進展
(経済・金融面での協力強化のフレームワーク)
現在多くの人が日中関係の悪化を指摘している。しかし、私自身は、一言で悪化ということに抵抗がある。政治的な問題はいろいろあるが、これまで述べたように、経済面や文化面、人的交流面での一体化、交流は着実に進んでいると見ていることが1つの理由である。
もう1つの理由は、私自身がワシントンに本年7月に着任するまで勤務していた財務省において、1997年〜98年のアジア通貨危機以降、ASEANプラス3、日中韓などの様々な、特に経済金融分野でのフレームワークの強化に関与し、そのような場での対話と理解が進んできていると感じていることである。
アジア通貨危機以降、アジア地域の経済活動がいかに相互依存、連携しており、他国の経済のよい影響も悪い影響もいかに早く域内の他国に波及していくのかについての認識が共有されるようになった。実際、アジアでは経済の統合が進んでおり、東アジア(ASEAN プラス3プラス台湾)の域内貿易比率(2004年)は、53%であり、既に共同体を作っているEUの66%よりは低いものの、NAFTAの44%を上回っている。
各国の財務省が中心に進めているASEANプラス3の枠組みでは、@各国の経済政策についてのモニターと意見交換、A危機の際に備える外貨準備の相互融通の取決め、B域内の貯蓄が域内金融市場を通じて域内に投資されることを図る債券市場整備の協力、CIMFなどの国際的なフォーラムに向けたアジア諸国の意見の調整、などの取り組みが進んでいる。このほか、貿易面でのFTAについての動きも進展している。また、本年12月には、インド、オーストラリア、ニュージーランドも加えた形で、東アジアサミットが開催される。
(米国との関係)
米国には、このようなアジア諸国のみによる協力のフレームワークに対する懸念の声も聞かれる。そのような懸念は、@アジアの協力フレームワークが米国を排除するものとはならないか、AIMF、WTOなどのグローバルな機関の機能を損なうものとならないか、B日本と中国が覇権を争ってかえって地域内の摩擦を高めることはないのか、などの疑問を背景としている。
このうち前の2つの疑問については、そのような可能性はないと断言できる。米国が東アジアの重要なパートナーであることは疑いがないし、またそうでないと困る。そもそも、アジアでの連携、協力のフレームワークは始まったばかりであり、EUのような制度的な枠組みに到達することがあるのかどうか、また、そうする必要があるのかも分からない。また、IMFやWTOの専門性、機能が基本であり、地域のフレームワークがその補完であることも十分認識されている。
一方、米国の3番目の疑問に関しては、日本と中国が覇権を争うことになるかどうかは、両国の国民とリーダーの心がけと努力しだいである。述べてきたように、日中は今や経済、文化などの面では、お互いをチャンスとすることができる可能性が高まっている。どちらが勝つということではなく、ともに協力し、得意分野でそれぞれリーダーシップをシェアすることができる。
なお、安全保障面については、専門家ではないので立ち入らないが、日本としては予見できる将来において米国との同盟関係を維持する選択肢しかないと思われる。そして、米国がそのような形で東アジアに関与していること自体は、日本と米国だけではなく、中国、韓国、ASEAN諸国の利益でもあると思う。他方で、北朝鮮の核廃絶などに関する6カ国協議やあるいはAsian Regional Forumのように、米国も交えながら安全保障面での対話を深めていくことも地域の安定にとって有益であろう。
- .結語
再び歴史に戻ると、15世紀頃に西洋列強がアジアに進出してくるまでは、東アジアには海を通じた盛んな交易関係があった。その後、東南アジア諸国の植民地化や日本の鎖国もあってそのような域内交易は衰えていった。現在のアジアの発展は、勃興(emergence)ではなく、再興(resurgence)と言うべきだと主張する人がいるが、相当程度当たっていると思う。
日本と中国という2つのパワーが並び立ったことがなかったという理由で、今後のアジアの安定に不安を示す意見がある。しかし、これについても、過去の長い歴史を見れば、日中は交流しつつ共存してきたし、独自の文明を築いてきた。
今後は、両国の国民の英知とフレンドシップに基づいて、ともに繁栄し、お互いからベネフィットを受けるとともに、より広くアジア地域の連携強化のために協力していくべきである。同時に、これまでは欧米が中心となって築いてきた国際的な秩序についても、中国は日本とともにより積極的なステークホルダーとなって(ちなみに米国のゼーリック国務副長官も9月21日の中国政策に関する演説で中国に責任あるステークホルダーになることを求めているが同感である)、その維持と発展に貢献していくことが期待される。
|