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![]() ![]() 『ワシントン勤務を終え』
(社)日本経済団体連合会
桜の季節になりました。桜というと、まず目に浮かんでくるのは、ワシントンモニュメントをバックにした満開の桜やタイダルベイスンの周囲に沿って咲く桜、そして瀟洒な家々の建ち並ぶケンウッドの桜並木など、ワシントンの風景の中に咲く桜です。桜と前後していろいろな花も一斉に咲き始め、路上に止めておいた車が何かの花粉で薄っすらと覆われているのを目にする頃、処方箋を手にCVS(まだあると思いますが)に駆け込んだことなども今では懐かしい想い出となっています。社会本部長 田中秀明 ワシントンでの勤務を終え、日本経団連の本部に復帰して、もうすぐ3年になります。日本経団連・経済広報センターの米国事務所に勤務していた2000年5月から2003年5月までの間、本当にいろいろな出来事があったものだと、いまさらながら思い起こすことがあります。 2000年11月のゴアとブッシュの大統領選挙。血みどろというか汗みどろというか、2ヶ月間におよぶ開票・法廷闘争は、アメリカの民主主義のあり方を改めて考えさせられた貴重な機会だったと思います。そして、2001年9月11日の同時多発テロとその後のテロとの戦い。ちょうどこの時、日米財界人の会議に出席されていた多くの日本の経済界の方々が一週間近くもアメリカ国内に足止めされるという、大変な事態にもなりました。このテロとの戦いは長く、苦しいものになると、大統領自身が直後に演説していましたが、その通りに、ブッシュ政権の信任問題にとどまらずアメリカの理想やあり方を左右する大きな問題として、今なお続いています。また、当時住んでいた家のごく近くでも犠牲者が出た2002年のスナイパー事件(ガソリンスタンドなどでおきた連続無差別狙撃事件)では、銃が氾濫している社会の恐怖を身近で味わいました。 このような様々な出来事がありましたが、何とか無事に事務所の運営ができたのは、商工会の皆様のご支援の賜物と、改めて感謝申し上げたいと存じます。時折、ワシントン時代を共にした方々と東京でお会いして、懐かしい話題にも花が咲きますが、ワシントンでの経験やお近づきになった方々は、私や家族の貴重な財産となっていると、痛感しています。 現在の職場は、日本経団連の社会本部です。ここは日本経団連のいわば社会との接点、窓口の役割を果たしている部署です。日本経団連は民間主導の経済社会の実現を目指して、奥田会長(トヨタ自動車会長)を先頭に、規制改革、税制改正などの様々な経済関係の改革、WTOなどの国際交渉、各国との経済関係強化のため、政府や政党、世論に働きかける民間の経済団体です。社会本部はその中にあって、@政治関係、A企業倫理・社会貢献、B広報・出版、C教育・奨学金、Dライブラリー運営、などの分野を担当している間口の広い部署です。 その一部について紹介いたしますと、第一の政治関係は、企業と政治の距離を縮めるための活動です。特に、企業や個人による政治寄付の促進は、奥田会長の強いリーダーシップの下に積極的に取り組んでいる課題です。その政治寄付を行う上での判断材料を会員企業に提供するため、政策評価を行っています。これは各政党が発表したマニュフェストを基礎データとして、国会での法案審議の進め方などを考慮した自民党・民主党の政策の実績評価を毎年、秋に行っています。この結果は、マスコミで取り上げられることも多いので、目にされた方もあると存じますが、日本経団連の提言を物差しとして、政党の活動を客観的に評価していく作業は、なかなか骨が折れる作業です。 第二の企業倫理・社会貢献は、次々と発生する企業不祥事をどのようにしたら抑えられるか、企業の社会的責任は何か、などを検討しております。基本的には、事故や不祥事の防止は個々の企業の責任でありますが、日本経団連の会員企業が申し合わせた行動規範である「企業行動憲章」を会員の方々に周知していく活動や、企業の社会的責任に関する実例集を作成する活動などに取り組んでおります。ISOにおける社会的責任の規格作りにも積極的に関与しており、その結果は2008年にも規格化される計画です。そのほか、企業の社会貢献活動を支援するため、各社の活動例を集めた事例集の作成や、地震・津波などの自然災害発生時の企業と行政・NGOなどの連携を図るため、行政やNGOとの話合いを通じて支援体制作りを行っています。 第三の広報・出版では、年間30回以上に上る会長記者会見を含めた広報活動を行うとともに、月280万件以上のアクセス数のあるホームページや月刊の機関誌「経済Trend」などの発行を行っています。 このほかの活動については説明を省きますが、ワシントン的な表現を使えば、「毎日がchallengingな日々」を過ごしております。考えてみれば、この忙しさは1990年代から血のにじむような努力を払ってきた構造改革がようやく実を結び、経済が活性化されてきた証だと思います。1990年代前半にワシントンの在米日本大使館に出向していた時、議会やシンクタンクの議論の中でよく聞いたのは、「日本の構造改革などは到底実現不可能だ」との意見でしたが、それが今では遠い昔のような出来事となっているのが、現在の日本だと感じています。 今後も、日本経済の飛躍に向けて微力を尽くしたいと考えております。 ワシントン商工会の皆様のご健勝とますますのご発展をお祈り申しあげます。 |