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![]() ![]() 『懐かしのシャーロッツビル』
米国三菱商事ワシントン事務所
毎年、ドッグウッド(はなみずき)の花が咲く季節になると思い出す懐かしい町がある。それはアメリカ南部、バージニア州シャーロッツビル。そして、私が小学校生活を送った場所。その町を、両親と共に、約30年ぶりに再び訪れることが出来ようとは思わなかった・・・。白井 晶子 「アキコ、こちらはグリア・スクールのキム・カズン校長です。学校を見学したいというあなたのお手紙、拝見しましたよ。せっかくシャーロッツビルに来るのだから、是非、当校にも遊びにいらして下さい。」 待ちに待った電話がかかってきたのは、今年の3月中旬、桜の蕾もまだ固い寒い日の朝であった。私は早速、校長先生と面会日を約束し、ワクワクしながら電話を切った。 グリア・スクールは、私が小学校2年まで通ったシャーロッツビルにある公立小学校である。当時、私は、バージニア大学に留学中であった両親と共にこの町に住んでいた。シャーロッツビルは、ブルーリッジ・マウンテンのふもとにあり、人口は当時4万人程度の、ドッグウッドの花が特別美しい南部の大学町であった。バージニア大学は、アメリカ合衆国第3代目大統領のトマス・ジェファソン(1743-1826)によって、この町に創立されている。ジェファソンはこの町の郊外で生まれ、大統領職を退いた後はシャーロッツビルの小高い丘の上に建てたモンティチェロ(イタリア語で“little mountain”という意味)という名の邸宅に戻り、自分の理想とする教育機関であるバージニア大学を創設して若い学生達に期待をかけた。まさに、文字通りジェファソン一色であるこの町の人々はそれを誇り、今でも親近感を持って彼を“Mr. Jefferson”と呼んでいる。 入社10年目にして、突然、ワシントンDCへの転勤が決まった時、私は是非、ドッグウッドの花の季節にシャーロッツビルを再訪しようと思った。バージニア大学、昔住んだアパート、よく通ったショッピングセンター、そして私の幼稚園・・・と訪れたい場所は色々あったが、私は、とりわけ自分が通った小学校を再訪したいと思い、思い切って校長先生に手紙を書いた。インターネットを使って小学校の住所と現在の校長先生の名前を調べることはできたが、私が、昔その学校の生徒であった事を伝えるにはどうしたらいいか、と頭をひねった。結局、生徒の顔写真を掲載した当時のYear Bookを実家から取り寄せ、表紙と、2年生の私の顔写真が入っているページをコピーし、それらを私の名刺と共に手紙に同封して訪問の意思を伝えたところ、数日後に、前述のような電話を校長先生から頂いたのである。 4月1日土曜日に、数日前からワシントンDC入りしていた両親と私は、シャーロッツビルに着いた。そして、モンティチェロや桜満開の大学構内、昔のままの姿を残すアパートなどを回り、夜は、新しくできた洒落たレストランでの食事を満喫。3日の月曜日、私は、長年の夢であった「人生で最初の母校」訪問を果たしたのである。我々を出迎えて下さった校長先生は、40代半ばくらいの若々しい黒人の女性だった。ちょうど、春休み中であったため、残念ながら子供達の姿は見られなかったが、校長先生は我々のために学校のドアを開けて待っていて下さったのである。 校長先生の案内で約30年ぶりに足を踏み入れた校内は、期待していたよりも小さく見えた。学校の外観や周辺の景色は記憶通りであったが、教室や図書室などの記憶はほとんどなく、唯一覚えていたのは体育館とカフェテリアのみで、それすら「こんなにちっちゃかったっけ?」というのが私の最初の反応であった。つまり、私が成長したということだろう。校長先生は、「10年ぶりに学校を見にきた卒業生はいたけど、あなたみたいに30年ぶりに外国から訪ねてきた人はいない」とおっしゃり、また、「あなたからの手紙と昔の写真をここの先生方に見せたところ、この学校に一番長くいる先生が、あなたの事を覚えていましたよ。今は春休みなので会えなくて残念がっていました。」とも話された。この言葉には、私は本当に感激してしまった。アメリカの小学校に私のことを記憶に留めて下さる先生がいるなんて!!まさに「自分」の存在をこの学校の歴史の中で再確認できたような気がした。 当時、グリア・スクールは、あるユニークな教育を実践していた。それは、1960年代後半から全米で急速な広がりを見せていたIGE(Individually Guided Education)という手法に則った教育であり、この学校は、IGEを採用すべく、私が小学校に入学した年に開校した新設の学校であった。IGEは、一人一人の子供に最も適した学習方法や目標を与えるため、従来のような学年制を採らず、能力などに応じたユニットに子供達をグループ分けし(故に、同じユニットでも皆が同じ年齢とは限らない)、更に科目毎に能力別の小クラスや一対一の授業を設けるなど、木目細かい「少人数教育」を可能にした教育法である。校長先生に確認したところ、今もこの学校ではIGEに基づいた教育が実施されているということであった。現在、IGEが全米でどの程度普及しているのかはわからないが、インターネットで検索してみると、これに関する専門書やIGEを採用している小学校のHPなどが列挙されていることから、今でも一定の評価を受けた教育手法なのであろう。 いずれにせよ、この小学校開校当時、唯一の日本人であり、英語もままならなかった私が落ちこぼれずにすんだのは、まさにこの教育手法のおかげであったのである。当時、私は、週に何回か一対一の英語の授業を受けた。教科書は先生の手作りのもので、先生は、大きな紙に英単語とそれを示す絵を描いて下さった。Cobwebやhingeなどの単語を、私はこの授業を通して覚えたし、また先生が描いて下さった見事な蜘蛛の巣やドアと蝶番の絵は、今でも目に焼きついている。 約2時間にわたる「母校訪問」を終えて校長先生と別れる時、ふと学校の入り口の上を見ると、“We Expect Success for All Students”という文字が窓ガラスに書かれていた。“Success”という言葉を使うところが如何にもアメリカだなあと思ったが、この“All Students”の中に自分も含まれている、と感じた時、幼い頃は私の人生そのものであったこのアメリカの地に、私は今、舞い戻ったのだ、と感慨を新たにした。 以 上 追記: 皆様、お子さまが通う学校のYear Bookは大事にとっておかれる事をお薦めします。何十年か後の、感動の再会のきっかけになるかもしれません! |