『周回遅れの映画評論シリーズ』
「Mary Magdalenaの謎:映画"Da Vinci Code"」


東京三菱銀行ワシントン駐在員事務所
所長 竹中 正治

【「不信人達」の都】

2年間待ち望んだ映画の封切りである。ご存知、原作のダビンチ・コードは2003年に出版され、私は2004年4月に読んだ。後に日本でも邦訳が発刊され、ベストセラーとなった。世界中で40百万部売れたというから驚異的だ。映画も日米を含む世界同時公開である。

封切り初日5月19日金曜日の夜7時、ジョージタウンのシネコンに着いて私は驚いた。上映劇場を10も持つ巨大シネコンで、この映画はほとんど毎時間毎に上映が開始されているのに、11時の上映時間までチケットは売り切れだと言う。幸い、余分になったチケットの買手を求めていた人(ダフ屋ではない)からチケットを譲ってもらい、7時半の開演で見ることができた。

劇場は100%満席だった。いつも空いているアメリカの映画館が完全満席になるなんて、ハリーポッターとスターウオーズの封切り以外には経験したことがない。この映画の上映に反対して、米国のみならず世界中でカトリック系クリスチャンが抗議運動をしているのに、「キリスト教国家」と呼ばれる米国の首都ワシントンDCとはなんと「不信人者」の多い都であろうか。なぜクリスチャン国家米国で、正統派の教義に反する小説と映画が創作され、これほどの人気を博したのであろうか? その問いは最後に答えることにして、まずはストーリーを概観してみよう。

【謎解きロール・プレイン・ゲーム】

ある晩、パリのルーブル美術館の館長が館内で殺される。死体は館内の現場で、全裸かつ血文字で書かれた奇妙な暗号めいたサインとともに発見される。死の間際に館長が残したと思われるこれらサインに、ハーバード大学で記号・象形学を教えるラングドン教授(トム・ハンクス)の名前があり、講演でパリを訪問していたラングドン教授が現場に呼び出される。同時に捜査当局に勤務(暗号解読官)していた館長の孫娘ソフィーが現場に到着する。二人は館長の残したサインを手掛りにダビンチの絵画からカギを発見、ひとつの手掛りが次の手掛りのカギとなるロール・プレイング・ゲーム的な連鎖を辿り、キリスト教会史に封印された最大の謎を探求することになる。同時に、この封印された謎を求めてカトリック教会の一派が暗躍し、刺客が二人を追う。彼らの目的は、ローマカトリック教義を根底から覆すことになる謎の封殺であった。

【キリスト教史の謎】

題材になっている「謎」については、2004年12月に「映画“National Treasure”とフリーメーソンの謎」で説明したが、簡単におさらいしておこう。謎とは、フリーメーソンが継承したと伝えられる中世のテンプル騎士団の手にした秘密であり、欧米で様々な小説や映画の題材になって来た。ウンベルト・エーコの小説「フーコーの振り子」もこれを題材にしている。フリーメーソンが本当にテンプル騎士団の謎を継承しているのかどうかは疑わしい。フリーメーソンの起源については、見解が分かれており、その史実は17世紀初頭までしか確認できないようである。テンプル騎士団はフランスから来た騎士で構成され、十字軍に参加した騎士団である。彼らはエルサレムを十字軍が奪還した時期に、エルサレムの神殿跡地の丘に宿営地を設け、秘密の発掘作業を行っていたと言われる。その結果、彼らが発掘したものが「テンプル騎士団の秘密」として代々継承されるのだが、それが一体何であるかを巡ってこれまで数多の説が提示されて来た。「ソロモン王の遺宝」、「聖杯」、「契約の聖櫃」など様々に推測、憶測されて来た。

テンプル騎士団はエルサレムから帰還の後、会員を増やし、興隆した。ところが14世紀初頭に中央集権化で絶大な権力を掌握したフランス王フィリップ4世に目を付けられる。フィリップ4世は、バチカンの教皇を毒殺し、傀儡教皇を擁し、ユダヤ人を集団追放し、その富を奪うなどやりたい放題に権力をふるった。当時テンプル騎士団は莫大な財産を築いたジャック・ド・モレーをグランドマスターとして、欧州各地にメンバーを広げていたと言う。フィリップ4世は、異端の嫌疑でモレーを含むテンプル騎士団を集団逮捕し、拷問で異端の罪を認めさせる。更にローマ教皇に騎士団の会員を破門させ、その財産を強奪する。こうして騎士団は滅亡するのだが、欧州各地の全ての会員が捕縛されたわけではなく、彼らは各地に落ち延びる。その一部はイギリスのスコットランド地方に落ち延び、そこで「ロスリンの礼拝堂」を建設し拠点とする。17世紀から史上に登場するフリーメーソンはこのロスリンの礼拝堂を拠点としたテンプル騎士団の末裔に由来するという説がある。

【イエス直系の末裔】

ダビンチ・コードのラストシーンもこのロスリンの礼拝堂である。フリーメーソンのハイランク会員であった祖父の残した手掛りを辿り、ソフィーとラングドン教授はロスリンの礼拝堂に辿り着く。そこで二人は、ソフィーは死んだ館長の実の孫娘ではなく、テンプル騎士団、フリーメーソンが代々秘守して来たキリストの血族であることを発見する。キリストはマグダラのマリア(Mary Magdalena、以下ではマリー・マグダレナと記す)と夫婦であり、キリストが磔になった時、マリー・マグダレナはイエスの子を身篭っていた。彼女は落ち延びて、娘を出産する。ソフィーは代々守られて来たイエス・キリスト直系の末裔だったのだ。これがダビンチ・コードの謎解きである。

マリア・マグダレナがイエスと夫婦関係にあったというのは、原作者ダン・ブラウンのオリジナル・アイデアではない。1982年に英国で発刊されたノンフィクション Holy Blood, Holy Gail (邦題『レンヌ=ル=シャトーの謎』)で著者らは(Michael Baigent、Richard Leigh、Henry Lincoln)、イエスとマリア・マグダレナが結婚し、子供を設けたという仮説を示した。著者らはダン・ブラウンと出版社を相手に著作権侵害の訴えを起こしたが、敗訴判決を受けた。このことは広く報道されたのでご存知の方も多いであろう。

ダビンチ・コードが小説として出版されてから、カトリック教会から激しく非難されて来た。単にカトリックの正統派の教義に反するのみならず、カトリック教会が真実の隠蔽のためなら、古来より手段を選ばずに非道の限りを尽くして来たという解釈が、カトリック教会の憤激をかうのは当然であろう。私は「カトリック教会の陰謀説」は支持しない。 しかし、ローマカトリック教会が「正統」とする自らの教義以外を、異端、異教として排撃、弾圧し、「非正統派聖書」の焚書を古来行って来たことは歴史的な事実である。今日に至るローマカトリックの教義がローマ帝国の権力と結んで「正統性」を確立するのは紀元4世紀であり、それまでは教義、教説について多様かつ流動的な状態があった。紀元1世紀の原初のキリスト教と紀元4世紀にローマ帝国の政治権力の庇護を得て「正統性」を確立したローマカトリック教義とは同じ内容ではないと考えるのは、歴史学的には常識である。紀元4世紀のローマ帝国でカトリック教会が支配権を確立する過程については、塩野七生の「ローマ人の歴史、キリストの勝利」がお奨めできる。

【マリー・マグダレナの真実】

ダビンチ・コードのストーリーは当然のことながら、@信憑性のある歴史的事実に基づいた部分、A全くの虚構部分、B論争の価値のある仮説の3つから構成される。マリー・マグダレナがイエスと夫婦だったと言う点は、虚構と仮説の中間程度であろうか。古来ローマカトリックはマリー・マグダレナを娼婦扱いして来た。しかし近年は、他の使徒と並ぶ、あるいはそれ以上の重要なイエスとの関係にあったという見直しが学問的にも支持されていると言う。実際、マリー・マグダレナは聖人に列せられている。特に東方正教会では、固有の記念日に加え、復活祭後第二日を他の聖人と伴にマリー・マグダレナの記念に当てているそうだ。マグダレナの名前を持つ女性も多い。 ポーランド出身の私の事務所のスタッフの名前は、Magdalena Tonderaである。

正統とされる四福音書が彼女について語っているのは次のことである。 @悪霊に憑かれた病をイエスによって癒された。 A磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けた。B復活したイエスに12人の使徒よりも最初に遭遇し、彼女はイエス復活を使徒達に告げるため遣わされた。 このため彼女は初期キリスト教父達から「使徒たちへの使徒」と呼ばれたそうである。 イエスの復活という福音書の最重要事件に他の12人の使徒より先に出会うというのは、意味深い。にもかかわらず、どうしてカトリック教会は彼女を「娼婦」と同一視するような解釈を行って来たのか。ダビンチ・コードは、それをマリー・マグダレナの真実を封殺しようとするカトリック教会の陰謀だと考える。

【ソフィーの自己探求の物語】

私はキリスト教史の専門家ではないので、宗教的な論争に係わるのはこれくらいにして、むしろダビンチ・コードの自己探求のプロットに焦点を当ててみようと思う。ダビンチ・コードで展開する謎の探求は、キリスト教史上の謎の探求であると同時に、ヒロインであるソフィーの自己探求物語でもあるのだ。彼女は、祖父(だと思っていた)と暮らした少女時代の記憶を辿りながら、謎解きを進め、最後に自分がイエスの末裔であるという驚愕の事実に辿り着く。欲を言えば、ラングドン教授よりも、もっとソフィーに焦点を当てた構成にすれば、この映画はもっと魅力的になったと思う。

自己探求を重要なモチーフにした小説、映画は少なくない。「ハリーポッター」は、自分の氏素性を全く知らずに育った少年ハリーが、魔法使いとしての自己に覚醒し、自分の父母の死の真相を解明して行く自己探求の物語でもある。そして彼の自己探求は、黒魔術の魔王ヴォルデモートとの運命的な対決にハリーを導いて行く。

私の映画評論でも再三採り上げた映画Matrixも主人公ネオ(キアヌ・リーブス)の自己探求が重要なモチーフになっている。現実だと思っていた世界がMatrixの仮想世界であることを知り、ネオの自己探求が始まる。自分を「救世主」として信奉する人々に戸惑いながらも、彼は自分が特異な存在であることに覚醒する。第2作のMatrix Reloadedの終盤でネオはついにMatrixの設計者と対峙し、ネオが「設計された理由」を明かされる。ところがネオは設計者の意図を拒み、物語は新たな混沌に移行する。第3作のMatrix Revolutionで、ネオは自己探求の答えを「教えられる存在」から「選択する存在」へと飛躍する。

【起源を問うことのラディカリズム】

さて、冒頭の問いに戻ろう。なぜクリスチャン国家米国で、キリスト教の正統派教義に反する小説と映画が創作され、これほどの人気を博すのであろうか? 私はその根底に、アメリカ人の自らの宗教的・文化的な起源への自己探求の欲求があるように思えてならない。自分らが信じている信仰の本当の原初の姿はどの様であったのであろうか? 現在の「正統派」聖書の通りなのか? 例えばキリストを人間視するグノーシス派などの異端説は本当に間違っていたのか? もしかしたら、イエス後の政治的な勝者の教義が正統性を得ただけではないのか? アメリカ社会がその文化的なダイナミズムを失わない限り、これらの問いは繰り返されるに違いない。

1971年英国でロック・ミュージカル「Jesus Christ Super Star」がヒットした。当時も保守的なクリスチャンはこのオペラを異端視し、非難した。私は1979年3月、大学生最後の春休みにロンドンで3週間ホームステイした時に、このロック・ミュージカルを見た。

I only want to know.
Jesus Christ, Jesus Christ,
Who are you? What have you sacrificed?
Jesus Christ Superstar,
Do you think you're what they say you are?
ほんとのことが知りたいだけだ。
ジーザス・クライスト、スーパースター、
誰だ、あなたは誰だ?
あなたは自分のことを、聖書の通りと思うのか?
(訳詩、岩谷時子)

人間の自己探求の欲求は強い。宗教、哲学の根本、人間の心理の根底にある衝動のひとつだ。しかも文明の発展と伴に強くなる。なぜか?日々の食を得ることからある程度解放された人間は、自分の存在の意味を問わずにはいられないからだ。自分が属する文化、宗教の起源の姿を問う欲求は、歴史上何度も繰り返され、既成の権威への反逆と革命の源泉となった。欧州で起こった16世紀の宗教改革も、そうした一連の出来事のひとつだ。アメリカ社会自体が、16世紀の宗教革命の申し子であったことを想い起こそう。起源の姿を問うことは、単なる復古ではない。ハリーポッターもネオも教えてくれている。自己探求の究極の答えは、知らされるものではない、自ら選択するものだと。そして、そのことを史上劇的に実践したのは、他ならないアメリカのピグリム・ファーザー達ではなかったのか。ダビンチ・コードをヒットさせた今のアメリカ社会を私は祝福したい。

以上