『くたびれたカンザスの思い出』


北海道新聞ワシントン支局
西村卓也

空港はその町の顔と言えるのだろうが、カンザスシティー空港は、古そうでこぢんまりとした建物の、田舎くさーい空港だ。「このマチ、カネないんだろうなー」。昨年夏、この空港に到着した私は、どよーんと暗い気持ちになった。

レンタカー会社がまた遠い。シャトルは空港をはるか外れ、ハイウエイ脇の草むらの中にたたずむ小さな会社に私を運んだ。与えられたのはドッジ製の重そうなバン。「一人なのに、こんな大きいのいらねーよ」と心でつぶやく。カンザス州の牛肉問題取材は、しょっぱなからヤル気をそがれてしまった。

日本による米国産牛肉輸入禁止問題の出口が見えない中、私は米国内の日本に対する不満がどう形成されているかに関心を持った。「ビーフと言えばカンザスビーフ」と日本のスーパーで培った単純な先入観から、出張先はカンザス州に決定。対日強硬派の同州選出下院議員ジェリー・モランの事務所に「地元での支持者との会合を取材したい」と申し入れたところ、快く日程を組んでくれた。

レンタカーで目指す小さなマチは、米大陸を縦断するプレーリーのど真ん中。マチを見つけるだけで一苦労なのに、待ち合わせ場所の牧場など、住所がわかっていても見つかりっこない。レストランとアイスクリーム屋が合体した変な店の前で困っていると「ミスター・ニシムーラ?」と声を掛けられた。モランではないか。こんなマチにいる東洋人は私だけなのだろう。「ようこそカンザスへ」と笑うと、明らかに人工的な真っ白な前歯と鋭い犬歯が光った。

案内されて牧場に到着。車を降りて顔を上げると、なぜか地元テレビ局のカメラがこっちを向いて回っていた。記者らしき女性が名刺を差し出し、放送局の取材で私を待っていたことを告げた。別の男性は地元紙記者だった。遠巻きに鈍い眼光を放っている。どうやらモランが集めたようだ。しまった、これは罠だったのかー。

その向こうには牧場主や食肉処理業者、畜産関係の大学教授らが十数人、腕を組んで待っている。私をにらむ目がすでに「米国の牛肉を輸入しない日本はアンフェアだ」と叫んでいる。私はその真ん中に通され、モランが声を上げた。「みんな、まずはミスター・ニシムラの言い分を聞こうじゃないか」。オイ、話を聞きに来たのはこっちの方だ。

慣れない英語で、日本の消費者が米産牛肉に不安を抱いていること、米側の現状を紹介することが相互理解につながることなどを説明してみた。帰ってきたのは、日本への不満の嵐。

「ここの牧草は天然でな、肉牛に最も適した世界一の草なんだ。ほかのエサをやらなくても、牛は勝手に育つんだ。BSEに感染する余地がどこにあると思う?どうなんだ」。どうなんだと言われてもねえ。

「見てくれ、牛の成長を記録した表だ。これが雄牛を雌牛の群れに放した日で、この期間に子供が生まれたはずだ。誕生日はいちいち確認していないが、牧場のどこかで産み落とされるんだ」。きちんと月齢計算できるのかな…。

議員が地元生産者の要望を聞く場を取材するはずが、すっかり対日抗議集会のようになってしまった。

私は一時間ほど、生産者たちの言い分を聞き、議員と生産者の会話風景を写真に収めて、モランに聞いた。「牛肉問題はやはり、来年の中間選挙で最大の争点となるんでしょうね」。そりゃそうだろう、彼は議会の中でも対日強硬派の急先鋒だし、選挙区も農村地帯ばかり。われながら、いい質問だ。

ところがモランは「いや、ヘルスケアだね」とさらっと言ってのけた。「ヘルスケアはすべての人に関わる大きな問題だからね」。えーっ、牛肉じゃないのかよー。頭の中で組み立てた原稿の構成が、ものすごい音を立てて崩壊していくのがわかった。

精神的にはすでに立っているのがやっとの私を、耳が少し遠くなった年寄りの牧場主が「牧場を案内しようか」と車に乗せてくれた。一面の牧草、とにかく広い。橋を渡りながら「川の向こうはね、トウモロコシを植えてんだ。牛のエサにするのさ」。私は「きっと名もないんだろう」と思いながら、川の名を聞いてみた。「この川?カンザス川だよ」。州の名を冠した大河だった。

川のこっちも向こうも、みんなこの老人の土地かー。広すぎて牛なんかどこにいるのか見えない。こんな大地に住んでいる人たちに、特定危険部位の除去などと細かなことを求めても無理な気がした。同時に、この人たちのおおざっぱな考え方を日本の人が理解するのはかなり難しいと思った。

「みんなで昼食に行きましょう」と促されて、最初にモランと会ったレストランとアイスクリーム屋が合体した店に戻った。「ここのステーキはおいしいですよ」とだれかが言った。「なに言ってやんでー、この町にほかにレストランなんてないじゃないか。どこと比較してうまいんだ」と思いながら、サーロインを頼んだ。

出てきたのは、決して高級とは思えないが、香ばしい焼け具合の肉。甘みは少ないが、肉汁が豊富で確かにうまい。ほおばる私に、放送局と地元紙の記者が「牛肉問題の日本の対応をどう思いますか」と近づいてきた。「日本の対応か…」。私は、日本国内の手続きに時間がかかりすぎる嫌いがあるなどの印象を語った。

「カンザス牛はうまい」という私の感想に、みな満足そうだった。会計を払おうと思ったが、グループのだれが会計を担当しているのか、聞いても「知らない」という。「いいんだ」という人もいるので、面倒になってご相伴にあずかることにした。お膳立てされた取材が終わり、店を出てモランとその支持者に謝意を示し、みな三々五々帰っていった。

自分も車に乗ろうとした時、最後に一人残っていた支持者の一人がたばこをくゆらせながら近づいてきた。「どうだい、いいストーリーは書けそうかい?」。苦笑いする私に、彼は続けた。「おれはジェリーの長年の支持者だがね、彼は上院議員に鞍替えしたいのさ」

取材に第二幕が待っていたわけだ。「カンザス選出のパット・ロバーツが下院から上院に鞍替えした時の後釜がジェリー。ジェリーは先輩のパットではなく、もう一人の上院議員サム・ブラウンバックをけ落として、議席を狙うんじゃないかな」。彼は立て板に水の政治解説を始めた。「おれもパットに頼まれてジェリーを支持しているが、ジェリーはちょっと優柔不断なところがあってな。だから牛肉問題で強い姿勢を見せているのさ」

そうだったのか…。頭の中で「対日強硬姿勢の背景に上院への野望」という見出しのついた原稿が形作られていった。「カンザスの人って、結構親切なんだなー」とうれしい気分でホテルに帰った。

ただ、その気分が持続したのは一晩だけ。翌朝、地元紙に掲載された私についての記事は、こう書き出してあった。「生産者たちは日本から来た記者をカンザス牛のステーキでもてなした」。さらに「日本は早く市場を開放した方がいい」と私が言ったように書いてある。これじゃあ、私が買収されたみたいじゃないか。でも、お代を払わなかったのだから文句も言えない。そういえば昨日、鈍く光る目つきの地元紙記者は食事を注文せず、私が口に運ぶ肉を目で追っていた。

やはり、カンザス人は油断ならない。

(文中敬称略)