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![]() ![]() 『餃子から原子力まで』
電気事業連合会ワシントン事務所
ワシントンに着任して、この9月で一年になる。ワシントンの時計は回りが速いとつくづく感じる一年である。何をやるにも時間がかかり、ハイウェイの出口を間違っただけで、何マイルも走り、気づくと30分や1時間は確実に過ぎている。日本はメートル単位だがここではマイルだから、何でも1.6倍のスケールで生活する分、一日に出来ることがすごく少ないような気がするのは私だけだろうか。きっと時間軸が短いに違いない。時間軸が短い割にはビジョンがでかいので、辻褄の合わないことがあっても、あまり気にしないようだ。気にしだすと生活できそうにもない気もする。林 俊明 私の出身は“餃子の町”栃木県宇都宮市。宇都宮市は東京から北に向かってちょうど100kmのところに位置する。餃子の町と言われ、あるいは自分で言い出したのか知らないが、ゴルフ、スキー、温泉の帰りには餃子を食べるためにわざわざ途中下車してくれているようだ。最近はいろいろな餃子の店が増えているし、駅を下りるといきなり真っ赤にたなびく餃子の旗にびっくりする。餃子だらけといった感じである。餃子の種類もかなりあるようだが頑固者の私は昔からの“正嗣(まさし)”の餃子しか食べない。野菜餃子でもなく、肉餃子でもなく、生姜とにんにくがピリッときいており、焼き餃子一枚(6個)170円も魅力だ。「みんみん」の餃子も有名だが、ここはラーメンもなかなかなので、忘れずに食べてほしい。ワシントンに来る前は東京電力本店勤務で、20年以上にわたって東京―宇都宮間の新幹線通勤族のベテラン。新幹線通勤族としてテレビのインタビューを受けたこともある。二階建て新幹線の一階の座席に座っていたら突然カメラとライトが迫ってきて、思わずのけぞってしまったら、そのままテレビの出てしまって、「相変わらず態度がでかい」などと言われて心外な思いをしたこともあった。 宇都宮はどちらも結構田舎という点では現住居のN-Bethesdaと似ている。あまり違和感は感じない。ここは緑ときれいな牧場というかゴルフ場が豊富で落ち着く町だと思う。 昨年ワシントンに赴任した日がプレジデントカップの9月21日水曜日、練習ラウンドの最終日。事務所に行く前にダレス空港からロバートトレントジョーンズへ直行。ここで最初にプレーしたのは95年の冬で、すごく寒かった記憶がある。正式着任前ではあったが、ゴルフの洗礼を受け、この一年、休日はゴルフ場にいるほうが長くなった。この日はまだまだ残暑の厳しい一日。観戦でゴルフ場を歩くと、自分でプレーして前ばかり見て歩く時とはまったく変わった光景にあらためて感動する。コースの美しさにも難しさにも気づく。それにしてもタイガーは他のプロと比較しても格段に飛距離が違う。一人だけとんでもないところをねらっている。男子プロの試合は私なんかにはまったく参考にならないが、ここまで飛距離が伸びてくるともっとギャンブル性の高いコース設計をしないと面白くなくなってしまうかもしれない。 この6月の上旬には全米女子プロ選手権の一日をBulle rock golf clubで楽しんできた。メリーランドの北のはずれにあり、ベセスダから車で一時間半のとてもきれいなコースだ。ミッシェルウィー、オチョア、ポーラクリーマー、ソレンスタム、セリ朴、クリスティーキムなど一流のプレーヤーをかぶりつきで見学できた。男子プロと違って女子プロの試合は色鮮やかで見ていて楽しい。もちろん、宮里藍と不動裕理の応援に駆けつけたわけであるが、残念ながら、宮里のがんばりももう一息であった。最終日は三位。あの小さい体でよくがんばったなという印象である。じっくりと濡れるような重くて深いラフとティー側から見たグリーンの狭さと小ささ、どのホールもまったく難しいコースである。二週間後に挑戦してみたら、思ったよりさらに難しかった。三回券を買ってしまったので、後二回挑戦しなければならない。6月末にはバージニアビーチから北へトンネルを抜けて、ケープチャ−ルズにあるBay creek golf clubで遊んできた。 ベセスダから95号線を下って3時間半、ここはアーノルドパーマーとジャックニクラウスが設計したパーマーコースとニクラウスコースがある。パーマーコースの14番と16番コースの間にあるコンドに一泊しての二日間、3.5ラウンドのお楽しみでした。ニクラウスコースはまだ作り立てで、この5月にはニクラウスが初めて訪れ、コースを作る前の自然の地形とその地形をどのように生かしてコース設計をしたか、そして、それぞれのコースの攻め方や、球種を変えての攻め方を披露したという。このラウンド後に一部設計変更を加えるとか。ニクラウスコースはチェサピーク湾に面している風の強いコースで、最初はとても風景など楽しめるものではなかった。原子力はアゲンストの風には弱いのだが、ここでのプレーがかなり強くなった気がする。心構えが必要である。まだ行かれてない方は是非一度はトライしてみてはいかがでしょうか。 さて、電気事業連合会の事務所は19ストリートとLストリートの角に位置し、日本の電力会社から3名、日本原燃鰍ゥら一名、現地から2名の計6名の小さな事務所です。 日本からは事務、技術いずれも原子力関係者である。原子力と一口に言っても、皆さん分野は別々で、核、電気、調達、広報などまちまちである。私自身は原子力発電所で通称、“核燃料”といわれるものを扱ってきている。米国での仕事は日本の原子力政策特に原子燃料サイクルを正しく理解していただくことである。 私がこちらに来たら急に原子力ルネッサンスとか言って、このエネルギー問題を解決するには原子力しかないといった雰囲気である。7月16日、原子力推進を明記したサミット首脳宣言が採択された。今年一月の大統領一般教書で、原子力利用や原子燃料サイクルの復活、ロシアとの原子力協定などが取り上げられるかも知れないとのうわさがあっては流れ、今回のサミットでも、ロシアの腹積もりやドイツの状況を考えれば、よくても原子力については軽く触れられる程度かと思いきや、よくもここまで持ってきたものだ。アメリカではスリーマイルアイランドの事故以来新規の建設がとまって30年にもなる。また、カーター政権の時に原子燃料サイクルの放棄が決定され、原子力発電はするものの、トイレなきマンション状態が続いてきた。米国では、100基を超える発電用の原子炉から、日本の倍の使用済燃料が発生しているのですが、今行き場がなくて、発電所にため続けているのが現状ですね。法律上はエネルギー省が引き取って、ヤッカマウンテンで直接処分することになっているが、一向に進んでいない。いくら原子力ルネッサンスと声高に言っても、今後の処分の方策が見えないと、投資家たちも新規建設に向かえないのが現状なのだ。 原子燃料サイクルについては米国エネルギー省セル副長官の下で検討が行われてきた新しい政策、国際原子力エネルギー・パートナーシップGNEP(Global Nuclear Energy Partnership)プロジェクトが、2007会計年度大統領予算要求で詳細が明らかにされた。セル副長官と国務省ジョセフ次官が今年1月末に日本、中国、ロシア、フランス、イギリス及びIAEAに事前説明の上、今回米国の発表に至っている。内容は米国でも再処理を含めた原子燃料サイクルを始めようとのビジョンである。2007年度予算要求では総額250Mドル(約300億円)が計上されたが、下院予算委員会では120億ドルのみ、上院予算委員会では満額が承認され、今後秋の両院協議会でどのような合意が出来るのか、そして、今年の中間選挙、2008年の大統領選挙を控えて、米国がどの方向に向かうのか、大変興味のあるところである。 日本はエネルギー資源をほとんど輸入に頼っていることはみなさんご存知の通りです。1970年代のはじめに、第四次中東戦争により、石油の価格が一気に跳ね上がり、巷にはトイレットペーパーすらなくなってしまうようなパニックが発生した。その後は中東への石油依存の低減、エネルギー資源の多様化、省エネルギー政策をかなり進めてきた。その一つとして、原子力の利用、特に一度燃やしたウラン燃料の中に残ったウランを回収して再利用を図り、また新たに生まれたプルトニウムは純国産資源として、利用する原子燃料サイクルの道を選んで、ここまできた。石油と言えばガソリンのイメージがあるが、身のまわりにあるプラスティック材、紙などほとんどのものが間接的、直接的に石油を原材料にしているから、今後じわりじわりと生活を圧迫してくると言われている。今中国がものすごい勢いで経済成長を遂げ、世界の石油資源をあさっているといっても過言ではない。中東情勢が緊迫してきたこともあり、ガソリンもどこまで値上がりするかわからない。そして、二酸化炭素の急激な排出による環境破壊や異常気象も懸念されている。 ご存知ですか、今青森県では日本の原子力発電所から発生した使用済核燃料を年間800トン処理できる再処理工場が最終の試験を行っています。昨年末までにウラン試験を終え、この春からは実際の使用済燃料を使ってのアクティヴ試験を進めています。この試験を来年夏まで行い、その後に商業運転に入ることにしています。今日本には合計55基の原子炉があり、日本の電力の約40%を供給していますが、この原子炉の運転により年間1,100トン程度の使用済燃料が発生します。今後これらの使用済燃料は六ヶ所で再生される。原子力を始めた頃、この使用済燃料の再処理工場がなかったことと、最終的に処分するところが決まっていなかったために、原子力に反対する方々からは日本の原子力もトイレなきマンションと言われて批難されてきたものだ。 日本の原子力の発展は英国のガス炉の導入から始まって、米国のウエスティングハウスやゼネラルエレクトリックからの技術を導入。水力や火力発電の時代に関西方面はウエスティングハウスから、関東方面はゼネラルエレクトリックから発電機を導入したので、今だに50サイクルと60サイクルが残っている。商業用の原子力の燃料は米国からの濃縮ウランの輸入に始まっている。これらすべてが日米原子力協力協定の枠組みのもとにスタートした。 米国の旗のたった核物質については、日本は平和利用の担保、核物質がほかに悪用されていないことを常に確認できるような保障措置の適用、核物質がとられないような防護措置が義務付けられている。以前は何をするにせよ、米国の承認を個別に取り付ける必要があったが現在の協定は1988年に改定され、包括承認と双務協定になった。とは言うものの、やはり、米国の動きには大きく影響される。今米国は原子力ルネッサンスとの掛け声の下、ブッシュ政権が原子力を含めたエネルギー政策を引っ張ろうとしている。原子燃料サイクルを確実に進めてきた日本やフランスとどんな協力に発展するのか、楽しみでもあり、一方で性急なビジョンがこの米国で本当に実現するのか心配でもある。 アメリカも原子力を取り巻く環境は少しずつ改善されているようにも見える。4月16日付ワシントンポスト紙日曜別刷でパトリック・ムーア氏の投稿をご覧になった方も居られるでしょう。ムーア氏は、原子力反対派グリーンピース創設者の一人であったが、近年原子力推進派に転じた人物。投稿では、ムーア氏自身がグリーンピース時代に原子力に対して持っていた認識のあやまりと、今後の電力需要と二酸化炭素削減を目指す上で原子力が唯一の突破口になることを述べている。また原子力エネルギーの活動団体として原子力エネルギー協会(NEI)の支援の下、CASEnergy連合(Clean and Safe Energy Coalition)が4月24日に設立され、環境保護局(EPA)長官、ニュージャージー州知事を歴任したクリスティーン・トッド・ウィットマン氏とムーア氏が共同議長(Co-chairman)になると発表された。ムーア氏は、温暖化ガス排出削減に寄与する原子力エネルギーの優位性の教育とエネルギー多様化に向けた手段の一つとなる原子力の支持を広く獲得することが設立目的であると語った。本団体への参加数は、原子力産業界を中心に大学、個人も含めて68に上る。また、同氏は、16日付・ワシントンポスト紙で30年に及ぶグリーンピースでの反原発活動から原子力支持に変わった理由に、原子力産業界がスリーマイル・アイランド事故を教訓に安全運転に努め,全米エネルギーの20%を供給するに至っている事実や環境活動家(Whole Earth Catalog:スチュアート・ブランド氏、Friends of Earth: ヒュー・モンテフィオーレ氏)の影響を上げていた。再処理計画については,エネルギーの有効利用と廃棄物削減にとって重要であると主張している。 ワシントンもいよいよ最後の暑さを迎えている。日射がとても強く感じるこの頃である。しかしながらビルの中では何かを羽織っていないと寒くてしようがない。今日もアパートのエアコンは入れっぱなしである。電力自由化のあおりも重なって、先月から電気代が倍以上になった。エネルギーセキュリティとか、環境問題とか、いろいろ世間では言われているが、今後はやはり省エネルギーが一番でしょうね。電気では飛行機は飛ばすことは出来ないので、石油資源は大切にしないといけませんね。 ゴルフ場の芝は逃げるところもなく、また暑さでやられてしまうのではないかと心配です。皆さん、私たちは冷房で腰や肩をやられないようにくれぐれも気をつけましょう。 以 上
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