『映画When Harry met Sallyに見る「負け犬」の心(真)理』


マイクロファイナンス・インターナショナル 文室慈子

「負け犬の遠吠え」(酒井順子著)を知る前、私のバイブルは映画When Harry Met Sallyだった。NY在住の独身男女による会話を通じ、♂と♀の思考や生態の違いが絶妙に浮かび上がり、繰り返し見ては笑い続けている。男女の本質を鋭く突くこの映画、実は監督のロブ・ライナーと脚本家ノラ・エフロンが何気なく始めた会話がベース。ライナーの主張はハリーの、エフロンの意見がサリーの台詞にそれぞれ反映している。

1989年公開当時も面白いと思ったが、その後20年近くになる自分の人生を照らし合わせると、主人公サリーが「負け犬=30代、未婚、子なし」だけに、私には殊更興味深くなった。酒井順子が喝破したように、負け犬の大量発生は日本に限らず、NY、ロンドンほか大都市に共通する現象である。ところが、欧米と日本の間には大きな違いがある。それは、カップル文化の有無。カップル文化のアメリカでは独身男女が強迫観念に襲われて相手を探す。それだけに、♀は女性的な、♂は男性的な部分がむき出しになりやすい。

映画はハリーとサリーの出会いから始まり、会った瞬間から二人は反発しあう。大学卒業直後の二人は、お互い本音むき出しで相容れない。最初の論争の元は、「男女の間に友情は成立するか」という古くて新しい命題。ハリーは「男女の間に友情は成立しない。なぜなら、男性は少しでも魅力を感じるとその女性とすぐに寝たいと思ってしまうから。たとえそういう関係に至らなくても、男性がそういう欲望を持った時点でもう友情は成立しない。」と主張する。一方、「男女間の友情は成り立つ」と反論するサリーは、更にあけすけな男性の本音を聞かされて(具体的な内容は割愛。商工会会報ですから)、ハリーに嫌悪感を覚える。

生物学の観点からは恐らく、両者の言い分は至極もっともなのだ。ベストセラー「話を聞かない男、地図が読めない女」の著者で社会学者のピーズ夫妻によると、生物の究極の本能は生殖、つまり、自分の子孫を残すこと。オスは厳しい生存競争の中で、チャンスさえあれば可能な限り多くの種を蒔こうとする。従って、相手選びに慎重すぎてはいけない。(知的レベルの高いワシントン在住の男性の皆様は反発を覚えるでしょうが、これはあくまでも一般論。ピックアップトラックを乗り回し、ジョージ・ブッシュに投票するTexanや、18人の子供を祖国に残し、建設現場で働く出稼ぎエルサルバドル人、3本の指を見せて首相の座を追われた宇野宗佑さんのような人も含めた、男性一般のお話です)

これに対してメスの場合、とりわけ哺乳類は妊娠→出産→子供の成長までに時間がかかるため、相手選びは慎重になる。しかも、身体能力の優れた種の追求だけでなく、理想的な子育て環境を作れる内面的要素も重視するため、ヒトは異性の性格を評価対象に加える。女性が男性にソウルメイト的な部分を求めるのは、このせいであろう。「誰でも良い」というわけにはいかないのだ。しかし、こうした本能は通常意識下で働くから、自分ではあれこれ理屈を考えているつもりで慎重になりすぎていると、子供を生む貴重な機会を失いかねない。こうした大切な事実を、日本では義務教育の生物の時間に教えるべきだと思う。

若さゆえに反発し合ったハリーとサリーも、社会に出てそれぞれ離婚、恋人との離別を経て人間が丸くなると、友情を育みながら親友となる。ハリーが「キミは魅力的だけれど寝たいと思わない、初めての女性だ」と言い、サリーも「ザッツワンダフル、ハリー」と応える。

その二人が悩みを語り合うシーンで、興味深いコンセプトが出てくる。女性には二つのタイプがいると言うのだ。それはHigh Maintenance(HM)とLow Maintenance(LM)。映画カサブランカのイングリッドバーグマンはLM。サリーの場合は「最悪のパターン」で、「自分ではLMと思っているが、実はHM」。その例として、レストランでのオーダーの仕方が出てくる。サリーはメニューをシンプルに選ぶことができない。デリでの注文は、「シェフサラダはビネガードレッシングを“On the side”に。アップルパイは温めてアイスクリームは“On the side”に。バニラかイチゴがなければアイスの代わりにフルーツを添えて。でも、缶のフルーツだったら、何もいらない。その場合はパイだけで。でも温めないで」…。まあこんな感じ。これは「物事を自分の思い通りにしないと気がすまない」HMの特徴だ。

私は最近までずっと自分はLMだと確信していた。親のアテンションが低い三人兄弟の真ん中であることも影響していると思うが、異性との関係になるとそれが顕著になり、相手にあまりよりかから(れ)ない傾向がある(と思う)。ところが、先日知人に指摘を受けて愕然とした。私は変な意地を張りすぎていると言うのだ。人が「送ってくれる」というのに「大丈夫です」とタクシーで帰るとか、ZIP CAR(車を持たない私が利用中のカーシェアリングシステム)を借りるのは「異常だ」と。「もっと素直に人に頼った方がいい」と忠告されたのだ。

酒井順子の唱える「負け犬にならないための10か条」にも、「大丈夫って言わない」という掟がある。「大丈夫」と言うことは、人の助け=関与を拒絶すること。逆にLM、つまり勝ち犬体質というのは、他人の関与すなわちコントロール不可能な要素が増えても、柔軟に対応できる能力なのだろう。私は無意識のうちに、他人の関与を排除していた・・・。自分もサリー同様に「最悪のパターン」に陥っている事実を、負け犬の殿堂入り直前になって自覚したわけである。嗚呼。(仕事では人に頼りまくっているのに・・・)

さて、この映画で私が特に好きなのは、サリーと親友二人によるオンナのホンネの会話シーン。友人マリーは独身、既婚男性との不毛な付き合いをやめられない。アリスは既婚、子持ちの勝ち犬である。場所はセントラルパーク内のレストランの屋外テーブル。サリーが弁護士の彼と6年来の関係に終止符を打った3日後という設定。会話は意訳、一部中略してあり、括弧内は私のコメントである。

マリー:聞いて。この前彼のポケットをさぐったら、何が出てきたと思う?彼、1600ドルもするダイニングテーブルを買ってるのよ。彼、奥さんと別れるつもりなんて無いんだわ。奥さんとは別れないんだわ。

アリス:まだそんなこと言っているの?2年前からずっと同じこと言っているじゃないの。

マリー:そうよね、そうよね、あなたの言うとおりなのよね。

アリス:なんで独身の男性と付き合わないのよ。絶対誰かいるはずよ。私が独身のころは、知り合いに素敵な独身男性がたくさんいたわよ。サリーだってちゃんと独身男性を見つけたわ。

マリー:サリーは最後の良い男をゲットしたのよ。(古今東西、負け犬の口癖は、「イイ男がいない」、ということである。自分を棚に上げて。)

サリー:ジョーと私は別れたの。

アリス、マリー:えーーっ?何時っ?

サリー:月曜よ。

マリー:あなたたち、お似合いのカップルだったじゃないの!一緒に外出して、国民の祭日にもデートしてたじゃないの!(マリーは不倫だから、一緒にお出かけできないし、祭日にはデートできない。)

サリー:私は自分に言い聞かせたの。こんなことしていられない。(ちなみに英語は「You deserve more than this」であるが、この表現、どうしても日本語にしにくい。日本人だったら、上記訳の通り、自分の行動に対する謙虚な反省のニュアンスが入ると思うが、アメリカ人にそういう美徳はない。問題の原因を常に自分以外に求める。)私ももう31歳だし、

マリー:時計もチクタク言い始める。

サリー:時計がチクタク言い始めるのは、36歳からよ。(米人女性にとっても30代後半は危険域なのである。私も36なんてまだまだ先のことと高をくくっていたのに、あっという間に時計は「チクタク」から激しい警鐘音に変わり、今では「ボンボン」乱れ打ち。次は、電池切れが怖い。)

サリー:私たち、時が経つにつれて違う道を歩み始めていたの。慣れるのに数日かかったけれど、もう大丈夫。

マリー:じゃ、準備はいいわね。完璧なヒトがいるのよ。私は彼のあごがだめだけど、サリーはあごにこだわらないでしょ?(そういってインデックス箱を開ける=彼女は紹介魔で独身男女の連絡先をインデックスにして携帯している)

サリー:まだ無理よ。彼のことは吹っ切れたけれど、今はMourning Periodなの。(3秒おいて)で、誰なの?

マリー:アレクス・アンダーソン。

アリス:げーっ

サリー:そのヒト、6年前に紹介してくれたわよ。

マリー:あら、ごめんね。じゃあ、ケン・ダーモンドは?

サリー:彼は一年前に結婚してるわよ。いい加減にしてマリー。たとえ平時に出会ったら私にぴったりの人だったとしても、今はただのつなぎの男にしかならないわ。

マリー:分かったわ。でも、あまり待ちすぎちゃ、だめよ。デイビッド・ワルソーを覚えてるでしょう?奥さんに出ていかれて、皆「急ぐ必要はない、時間をかけた方がいい」って言ったけど、彼、6ヶ月後に死んだわ。

サリー:じゃあ、何?相手がすぐに死ぬかもしれないから、今すぐ結婚した方がいいっていうの?

アリス:少なくとも既婚だった、とは言えるわ。

マリー:要は、あなたにぴったりの男がどこかにいて、ぐずぐずしていると、他の誰かが自分の夫と結婚していることを認識しながら一生暮らすことになる、ということよ。(マリーは負け犬の典型である。他人の恋愛には鋭く的確なアドバイスができるくせに、自分のことになるとからっきし駄目である。)

サリー:(絶句)

見事なまでの、結婚への執着!「相手がすぐに死んだとしても、結婚していたと言える(だけまし)」で押し切るのだ。この価値観は、「女の幸せは普通の結婚をして普通の生活をすること」と言ってはばからない、昭和9年生まれの父と共通する。アメリカ人女性の独立なんて、幻なのである。彼女たちの中でも、結婚していないことは、「負け」。アメリカにも負け犬コンセプトは存在した!喜んでいる場合ではないが、国境を越えて同じ痛みを分かち合える仲間がいるというのは、感動に近い感覚がある。

さて、サリーとハリーの友情は後に愛情に発展、ある日一線を越えてしまい、それが原因で友情は壊れてしまう。独りぼっちのサリーは大晦日の夜、既婚者となったマリーに引っ張り出され、パーティに行ってみるものの、「カウントダウンの瞬間にキスしてくれる人がいないことを考えるとやるせない」と言い、カウントダウン直前に一人帰宅しようとする。そこへハリーが「やっぱり君を愛している」とやって来て、ハッピーエンド、となる。

厳しい展開が予想されるにも関わらず、パーティに出かけるサリーのたくましさに私は感心する。「これでもか、これでもか」と敢えて逆境に身を置き、自らを追い込んでいくところが、日本人とアメリカ人の違いかもしれない。こたつに入り、老いた両親と除夜の鐘を聞きながら、「今年も終わりだねぇ」なんて言ったりしないのだ。アメリカ在住9年、この精神にそろそろ学んでもよさそうだが、「やっぱり今年の暮れも、日本に帰りたいなあ」と思ってしまう私である。

(終わり)


またしても負け犬ネタになってしまいましたが、別に私は四六時中こんなことを考えているわけではありません。日ごろは、当然、有効な広報戦略、会社の成長のことばかり考えているわけですが、先日、「娘が負け犬になったらどうしよう」と心配するお父さんの声を小耳に挟んだもので、ご参考になるかと思い・・・・。お後がよろしいようで。