『周回遅れの映画評論シリーズ』
「英雄になりたかったですか?:映画Flags of Our Fathers」


東京三菱銀行ワシントン駐在員事務所
所長 竹中 正治

クリント・イーストウッド監督の「硫黄島プロジェクト」は、太平洋戦争の日米の激戦地となった硫黄島の戦いを米国と日本のそれぞれの視点から描く2作構成となる異色の試みだ。10月20日にその「米国編」"Flags of Our Fathers"が公開された。「日本編」"Letters from Iwo Jima"は12月に封切られる。映画の下地となった原作は"Flags of Our Fathers"(by James Bradley and Ron Powers)として2000年に出版されてベストセラーになった。私は読んでいない。この映画を封切り翌日の土曜日、ベセスダの映画館で見た。場内は満席となった。米国の映画館が満席となることは希である。

【太平洋戦争最大の激戦地、硫黄島】

1945年2月、欧州では既にドイツが連合軍に降伏し、米軍はその総力を太平洋における対日戦争に向けていた。南太平洋の日本軍占領下にあった島々を制圧しながら北上する米軍の次の目標は硫黄島だ。海を覆い尽くすほどの数の米艦隊が硫黄島を目指す。硫黄島は小笠原諸島父島の南方に位置する面積22平方kmの小さな火山島で、この小さな島を日本軍約2万人が全島に地下壕を掘り巡らした要塞と化し、本土防衛の生命線にしていた。硫黄島に向う船上で米士官が兵隊らに訓示する。「いいか!硫黄島はテニアンでもサイパンでもない。連中の聖なる本土の一部だ。日本兵の死に物狂いの反撃、抵抗を覚悟しろ。」

この小さな島を米軍は数日で占領できると見込んでいた。島を取り囲んだ大艦隊から、まず雨のような艦砲砲撃が降り注ぐ。島の地形が変わるほどの砲撃だったと言う。砲撃に続いて、6万人の海兵隊が上陸を開始する。艦隊砲撃、航空機爆撃、装甲車、戦車の支援を受けた上陸作戦であった。しかし日本軍の攻撃能力はかなり生き残っており、上陸の緒戦で数千の米兵が死傷する。その損害の甚大さは本土に伝わり、米国民に衝撃を与えた。実際、硫黄島全体の制圧に米軍は見込みを遥かに超える1ヶ月余りを要し、約2万人の米兵が死傷した。日本兵2万人はその多くが戦死、捕虜となって帰還した率は5%未満だったと言う1。今年の8月に放映されたNHKの特別番組は、僅かに生き残った元日本兵の証言を含めて硫黄島の戦いを紹介する秀作だった。これまであまり語ることのなかった生存元日本兵の方々の証言によると、日本兵は投降することも、突撃して「安易に玉砕する」ことも軍令で禁じられ、砲弾や食料が尽きても持ち場を死守するように命じられた地獄の戦いだったという。

主人公ら米国海兵隊の最初の目標は「すり鉢山」と呼ばれた島唯一の大きな丘で、ここを要塞化していた日本軍が大砲、機関砲で米軍に大きな損害を与えた。しかし結局、日本軍は砲弾も尽き、数日後に米軍はすり鉢山を制圧、その丘の上に星条旗が掲げられる。この星条旗を直接掲げた海兵隊員と海軍兵士6名の写真(実際は旗を換えて2度目に掲げられた時の写真)が本土に送られ、その印象的なイメージが大反響を起こす。その写真は米兵の英雄的な戦闘と勝利の象徴となり、6名は「英雄」となる。しかし硫黄島の激しい戦闘で生き残ったのは3名だ。この3名が同年春に米国本土に帰還し、太平洋戦争の英雄として様々な式典にひっぱりだことなる。3人はワシントンで大統領に謁見し、連邦議員らに囲まれて華やかな凱旋式典でもてはやされた。

ところで映画の(原作も)タイトルは"The Flag"ではなくて、"Flags"と複数形だ。なぜだろうか?硫黄島に掲げられて当時米国本土で勝利の象徴としてセンセーションを起こした旗のことであれば“The Flag”が適切である。この映画をまだ見ていないアメリカ人にこの映画の話をした時にこの点を逆に質問されてしまった。これについては最後に考えよう。

【造られた英雄像】

本国に帰還した"Flag Raisers"の3名の気持ちは複雑だ。自分らは他の兵隊と比べて特段のことをしたわけではない。戦闘で命を落とした多くの戦友のことを思えば、たまたま生き残った自分らだけが、英雄視され、華美な式典でもてはやされる状況に納得がいかない。そんな3人の気持ちをよそに、硫黄島の戦闘で予想を超える2万人もの米兵が死傷したことへの米国民の苛立ちを、政府や議会の要人らは3人を英雄に祭り上げることで払拭しようとしているかのようだ。

凱旋式典にわく本土の人々と、凄惨な戦場を経験した3人の気持ちはすれ違ったままだ。式典で打ち上げられる花火の閃光の音にさえ、彼らは硫黄島の凄惨な戦場を想い起す。ある式典では硫黄島で星条旗を掲げる6人の米兵らの姿を形取った白いアイスクリームがデザートに出される。そのアイスクリームに真っ赤なストロベリー・ソースがかけられる。それを見た兵士は戦場で肉を吹き飛ばされ、血にまみれて死んでいった同僚達の姿を思い出し、動揺する。しかし周囲は全く気がつかない。ひとりは、その後生まれた息子にはとうとう硫黄島と星条旗の一件を生涯語ることがなかった。息子は父が死んだ後、父が残した旧いダンボール箱の中に、「硫黄島の星条旗」の写真と勲章を見つけて、このことを初めて知る。

3人のうち最も印象的な人物は貧しい先住民出身の海兵隊員(Ira Hayes)である。彼は「硫黄島の英雄」と祭り上げられる一方、「インディアン」として白人から向けられる蔑視に気持ちが屈折する。しかも幾度も繰り返される凱旋の祝宴でワインやウイスキーを浴びるように飲むようになり、飲みすぎてゲーゲーと吐き戻すシーンが映画に幾度も登場する。結局、彼はアルコール中毒となり、身を持ち崩し、アル中のまま30歳代で死んでしまう。映画を見た後、米国の知人から教わったが、その後彼の生涯はフォークソングとなって広く歌われるようになった。ボブディランも歌っている。以下は私の超意訳歌詞である。英文歌詞全文は末尾に添付した。

アイラヘイズのバラード
♪♪奴のこと、飲んだくれのアイラヘイズって呼びなよ、でももう返事はないぜ
奴はただの貧しい百姓インディアンだったんだ
でも戦争が始まって、奴は志願して出て行ったよ
大勢死んだが生き残った奴らで、島の丘の上に旗を揚げたんだ
アイラヘイズもそのひとりさ
国に戻ったら英雄だ
ワインを浴びて、演説だ
でもそんなこと、奴の故郷のインディアン達の知ったことかよ
それで奴は飲んだくれちまったんだ
連中は奴に旗を揚げさせてやっただけなんだよ
犬に骨を投げてやるようにさ
奴のこと、飲んだくれのアイラヘイズって呼びなよ、でももう返事はないぜ
飲んだくれて死んじまったんだからな♪♪

【Flags、複数形の理由】

イーストウッド監督のこの映画のメッセージは簡単だ。「戦う時は、何を守るために戦うのかを見失うな。政治やメディアなど外部の権威は、彼らの思惑のために『英雄像』を創作し、利用する。それにはまれば、人間は大事なものを見失うことになる。」イーストウッドは「リバタリアン」とも言われ、その政治信条は個人の独立自尊を至上としている。その点ではイーストウッドらしいメッセージだ。「天皇、国家、軍への絶対忠誠」のイデオロギーに縛られた当時の日本兵らを徹底した個人主義を信条とするイーストウッドは、"Letters. From Iwo Jima"でどのように描くのだろうか?

さて、なぜ"The Flag"ではなく、複数形の"Flags"なのか?まず考えられる直接的な答えは、写真になってセンセーションを巻き起こした旗揚げのシーンは、実は最初の旗ではなかったことだ。これは映画の中でも描写されているが、最初の旗は取り替えられて、2番目の旗を揚げるシーンが問題の写真となったのである。つまり旗は2つあったから複数形だと言える。しかし、作者の意図をもっと深読みしてみよう。原作を読んでいないので、見当違いかもしれないが、イーストウッド監督ならどう答えるか、大胆に空想してみた。

架空のイーストウッドの答え:「なぜ複数形のFlagsなのかって? 人間の魂の数だけ“Flag”はあるんだよ。硫黄島に星条旗をたまたま掲げた6人だけを政治家と世間は英雄に祭り上げてしまったが、硫黄島では6万人の米兵が戦い、2万人が死傷した。何のために戦ったんだ?何のために血にまみれたんだ?国から命令されたからか?そういう奴らもいただろうさ。しかし守るべきもの、守るべき人を自分の心に秘めている人間は心の中に自分の旗を掲げているんだ。世間に知られようが、知られまいが、関係ないね。そいつらはみな英雄なんだ。アイラヘイズは、あの島で星条旗を掲げたひとりだったために世間で英雄に祭り上げられたが、自分の心の旗は見失ってしまったようだな。あわれなことだ。」

続く、かも…。


♪♪♪The Ballad of Ira Hayes Lyrics
Gather round you people and a story I will tell
About a brave young Indian you should remember well
From the tribe of Pima Indians, a proud and a peaceful band
They farmed the Phoenix Valley in Arizona land
Down their ditches for a thousand years the sparkling water rushed
Till their white man stole their water rights and the running water hushed
Now Ira's folks were hungry and their farms wene crops of weeds
But when war came he volunteers and forgot, the white man's greed
Call him, Drunken Ira Hayes, he won't answer anymore
Not the whiskey-drinking Indian or the marine who went to war
Yes, call him, Drunken Ira Hayes, he won't answer anymore
Not the whiskey-drinking Indian or the marine who went to war.

They started up Iwo Jima Hill, 250 men
But only 27 lived to walk back down that hill again
And when the fight was over and the old glory raised
One of the men who held it high was the Indian Ira Hayes

Now Ira returned a hero, celebrated throughout the land
He was wined and speeched and honored, everybody shook his hand
But he was just a Pima Indian, no money crops, no chance
And at home nobody cared what Ira had done and the wind did the Indian's dance

And Ira started drinking hard, jail was often his home
They let him raise the flag there and lower it like you'd throw a dog a bone
He died drunk early one morning, alone in the land he had fought to save
Two inches of water in a lonely ditch was the grave for Ira Hayes

Yes, call him, Drunken Ira Hayes, but his land is still as dry
And his ghost is lying thirsty in the ditch where Ira died
Yes, call him, Drunken Ira Hayes, he won't answer anymore
Not the whiskey-drinking Indian or the marine who went to war.
Hope that helps, thom
♪♪♪




1 硫黄島の戦闘については次のサイトが判りやすい。http://www.iwojima.jp/index.html