『周回遅れの映画評論シリーズ』
「現代に甦る日本アニミズム文化」


東京三菱銀行ワシントン駐在員事務所
所長 竹中 正治

【なぜ日本人はロボットを愛するのか?】

"Why Japanese Love Robots" と題する講演会・会合が10月に日米協会ワシントンDCの主催であった。講演者はTimothy Hornyackという日本のロボット文化・技術に魅せられた科学ジャーナリストで、最近の著書“Loving Machine”の紹介を兼ねた講演だった。日本に長く住み、日本語も達者な同氏は、産業からアニメ、その他エンタテイメントの分野まで興隆する日本のロボット文化・技術を紹介し、米国とも欧州とも異なる日本人の「ロボット好き」を語った。

同氏は日本人のロボット・テクノロジーの原点として、江戸期のカラクリ人形に遡るが、現代の日本人にとってロボットを代表するイメージはなんと言っても鉄腕アトムである。一方、アメリカでロボットのイメージは近年の例であげると映画ターミネーターではなかろうかと言う。アトムのキュートで人間のパートナーとしてイメージとターミネーターの恐ろしい殺戮者イメージ、この日米のコントラストはどこから来るのだろうか? 同氏はキリスト教文化のアメリカでは、「我々とそれ以外」、「人間と非人間」、「善と悪」という対立的、2元的なイメージの影響が強く、「ロボット→非人間→異質な脅威」という連想が働くのだと言う。しかし、日本人のロボット好きの原因については、なぜか直接に同氏は語らなかった。

講演後、著書を買ってサインを求めながら、質問した。「アメリカ人のロボット・イメージにキリスト教の文化的影響を指摘されたが、日本人のロボット好きにはどういう文化的な背景があるとお思いか? 私が思うに、日本文化はアニミズムの影響を強く残しており、日本人は非人間、非生物にも容易に『魂(spirit)』の存在を想像する。それが違和感なく、更にはパートナーとしてロボットを日本人が受け入れる文化的な背景だと思うがどうか?」 同氏の意見も全く同様だった。「日本の少年野球を取材した時に、ゲームが終わってからコーチと選手達がグランドに向っておじぎをするのを見て、不思議に思って監督に尋ねたことがある。『グランドにも魂がある。それに感謝しているのだ』と言う答えだった。アメリカの野球少年達は考えもしないことだ。非人間、非生命にも魂を感じる日本文化のアニミズム的要素と『ロボット好き』には明からに関係があると思う。」

【現代に甦るアニミズムの精霊達:ポケモン】

アカデミー賞アニメ部門で受賞した宮崎駿の「千と千尋の神隠し(Spirited Away)」に登場する様々な異形のクリーチャー達が八百万の神々であることを日本人は自然に理解できる。このアニメ映画はアメリカでも都市部の知的でリベラルな家庭層にはかなり見られている。しかし、アメリカの子供達に「八百万の神々」の概念があるはずもない。異界の不思議なクリーチャーを彼らは「ポケモンの同類」のイメージで受け止めているようだ。 ポケモンもアメリカの子供達、特に少年層には大人気の日本アニメだ。常時TV番組で放映されている。小さなボールの中に納まり、登場人物らと旅をし、苦楽や試練を共にしながら、成長するポケモンとは一体何か?

私の6歳の息子もポケモン大ファンの一人で、時々ポケモン・キャラクターを並べて一人で独自の世界に耽溺している。息子によると、多種多様なポケモンは「火ポケモン」「水ポケモン」「風ポケモン」「岩ポケンモン」などのカテゴリーに分類されるそうだ。これらポケモンはそれぞれ火、水、風、岩に関連した技を持つ。ポケモンとは私には「火、水、風、岩の精霊」に思えてならない。 ポケモンとは自然現象の背後にそれぞれの精霊(spirits)の存在を想定する日本アニミズム文化の現代版なのではなかろうか。

2004年2月にワシントンを訪問し、JICC(日本文化広報センター)で講演した日本アニメ界の巨匠、りんたろう氏は、”Animation”の語源を知っている人いますか?と問うた。アニメの語源はアニミズム(Animism)だ。万物にSpiritがやどっていると考えるアニミズムは、2次元の絵がまるで生命を吹き込まれたかのように動き出すアニメの語源にピッタリである。 りんたろう氏は「生命を吹き込む仕事をしているボク達は自分らのことを『神様だ』と思っている」と言い放って笑った。 日本人の口にする「神様」と自分らキリスト教の”God”とは異なる概念であることを知らない限り、アメリカ人にとってこれは「神をも畏れぬジョーク」だ。確かに、日本アニメはアニミズム文化が現代に甦る媒体としては、これ以上ふさわしいものはないのかもしれない。

【日本の3大ヒーロー・キャラクターも八百万の神々】

アメリカ人にとって世代を越えた3大スーパー・ヒーローと言えば、スーパーマン、スパイダーマン、バットマンである。 いずれのキャラクターも、世代を超えてリメイク版の映画やコミックが製作され、子供から大人まで受け入れられて来た。これらアメリカ人の3大スーパー・ヒーローに相当する日本のキャラクターは何か? 世代を超えてリメイク版がヒットしているという点で選ぶと、鉄腕アトム、ウルトラマン、ゴジラであろう。「ゴジラがスーパー・ヒーロー?」と思う方がいるかもしれないが、凶暴な怪獣として登場したゴジラは、その後は宇宙怪獣から地球を守る正義の味方に転じているので、立派なスーパー・ヒーローである。

日米の3大キャラクターを比べると、その違いは明確だ。アメリカのスーパー・ヒーローは人間(バットマン)、人間の変異(スパイダーマン)、完全人間型異星人(スーパーマン)である。 一方、日本のキャラクターはロボット、非人間型宇宙人、怪獣である。この違いの意味はなんだろうか? アメリカのキャラクターが人間(型)である理由は簡単だ。アメリカ人にとって、スーパー・ヒーローは空想の中での自己の分身なのだ。つまり自らのヒーロー願望の化身である。従って人間型であることが必要になる。このヒーロー願望はアメリカ男性のみでなく、女性にも共通するようだ。だからアメリカではスーパー・ガール・キャラクターも様々に製作される。日本アニメ、セーラームーンがアメリカの女の子達の間で大人気であるのも、彼女達のヒーロー願望を満たしてくれる最適のキャラクターだからだ。

それに比べると、アトム、ウルトラマン、ゴジラに代表される日本のキャラクターを繋ぐ共通項は難しい。非人間型であることだけは共通する。実はこれら日本のキャラクターに共通するのは、日本的なアニミズム神の概念ではなかろうか。コジラは「破壊神」、ウルトラマンは「天空神」、アトムは「機械神」である。 「ウルトラマン」の名前は明らかに「スーパーマン」をもじった発想であろう。しかし日本人が米国のスーパーマンに匹敵するスーパー・ヒーロー・キャラクターを創作しようとした時、アメリカのような完全人間型ではなく、「天空神」のイメージを採ったのだ。

【巫女的キャラクターの復活】

「戦うヒロイン」は映画、小説、ゲームなど現代の文化媒体に広く見られるトレンドとなったが、日本と米国の「戦うヒロイン」には、明らかな違いがある。例えば、映画“Resident Evil, Apocalypse”のアリス(ミラ・ジョボビッチ)は、遺伝子工学手術の結果身につけた超人的な能力でゾンビ達をなぎ倒す。映画エイリアン・シリーズのリプリー(シガニー・ウイーパー)は超能力こそないが、第2作ではモビールスーツに乗ってエイリアンのマザーと一騎打ちする。彼女達は物的な戦闘能力でも並の人間を凌駕した力を発揮する。日本刀で戦う映画“Kill Bill”のヒロインも、物理的な戦闘能力は尋常ではない。

ところが、日本の戦うヒロインに共通する要素は、「霊能力」である。物理的な戦闘能力は弱く、代わって霊的な能力を特徴とする。「風の谷のナウシカ」は人間に代わって地上を広く覆うようになった巨大なムシらと交信し、人々を導く。TVアニメ「未来少年コナン」のヒロイン、ラナはテレパシー能力を持つ。高橋留美子の代表作のひとつマンガ、アニメ「犬夜叉」はアメリカでも大人気だ。 「犬夜叉」で半人・半魔物の主人公の犬夜叉の恋人「桔梗」とその生まれ変わり(リインカネーション)としてのヒロイン「かごめ」は、高い霊的な能力を持った文字通りの巫女(みこ)である。

その霊的な力で神々と交信することの出来る巫女はシャーマニズムに特有の存在であるが、アニミズムとシャーマニズムは分ち難い。なんと、我々日本人は現代にアニミズムの神々を甦らせ、巫女的存在を物語のヒロインとし、今も彼ら・彼女らと共に暮らしているのだ。そういう意味で、アメリカへの日本アニメの普及とは、日本アニミズムのキリスト教文化圏への浸透という側面も持つことになる。日本アニミズムに深く染まったアメリカの少年、少女達は、次代にいかなる文化的な融合(fusion)を産み出すのだろうか?

以上