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![]() ![]() 『私の愛犬(?)物語』
The Hay-Adams
我が家の愛犬シンプソンは14歳になるらしい。コーギーとイエロー・ラバドールの混血らしく、ブロンドで脚が短くいたって若々しく健康であるが、耳が遠くなったらしい。彼の出生の経緯をはっきりと知らないのは、ワシントンの動物愛護会から養子として13年前我が家にやってきたからである。榎戸かし代 アメリカ人の私の夫はペット盛りだくさんの少年時代を過ごした。いろいろな種類の犬、ウサギ、鶏、(処置済みの)スカンク、リス、ハムスターや、蛇までもがペットとして同居していたという。二人の子供たちも小さな生き物が大好きで、フレンドリーな犬に出会うと、跳んでいって身体を撫で回し、嬉しそうにいつまでもお話をしていた。メキシコのCabo Sun Lucasに建てた家で20年ほど前クリスマス休暇をすごした時、小学生の二人の子供たちはそこの野良犬と親しくなり、ファッソウー(太っちょ)と名づけて、毎日一緒に遊びまわっていた。Cabo Sun Lucasを去る日にはファッソウーとの名残が惜しくて、“人生でこんなに悲しいことはない!”と宣言して何時までも大声で号泣し続けていた。 近所の犬を借りてきたり、友人の家から生まれたばかりの子犬を下宿させたり、犬が絶えたことのない夫の実家に行って何時までも犬と戯れていたりと、子供たちのペット願望は十分過ぎるほど実演された。最近ではペットを家で大切に育てる日本人も多いと聞くが、私が日本で生活していた時代には犬は鎖につながれて庭の犬小屋で過ごしていた。靴のまま家に入り込むアメリカ人にとって、靴をはかない犬が家の内と外の区別なく出入りするのはごく自然な成行きらしいが私はどうも犬との同居に抵抗を感じていた。しかし、ここはアメリカ。私一人が夫と二人の子供たちの幸せを奪う権利はないと果敢にも思いついた。夫は子供に優しく、頭脳明晰なゴールデン・リトリーバーが良いと提案した。調査研究して、純血のゴールデン・リトリーバーだけを扱っているブリーダーを遠いマリーランドの田舎に感謝祭直後、二人で訪ねた。 ブリーダーは妊娠中のゴールデン・リトリーバーを私たちに紹介し、“この犬の母親は文字も読める天才的な犬だったのです”と言った。教育熱心な私は犬にあやかる事を願って、天才的な犬の孫を求めることにした。生まれるのは12月初めなので、クリスマス直前まで預かってもらう約束で代金を支払った。 12月25日、夫は早々と起き出してクリスマスを祝わないユダヤ人のブリーダーの家まで子犬を取りに出かけていった。まだ子供たちが眠っている間に戻ってきた夫は“巧くいった、地下室にいる”と私に囁いた。やがて起きだした子供たちはクリスマスツリーの元に積重っているプレゼントの包み紙をに次々と引き剥がし、プレゼントよりも包装紙の引き剥がしに熱心の様子だった。一段落したところで、夫が地下室へのドアを開けた。地下室から居間への廊下を小さなゴールデン・リトリーバーがコロコロとやってきた。子犬を見つけた二人の子供たちはパッと目を輝かせ、子犬に跳びついて、しっかりと抱きしめた。はちきれる様な喜びを思いっきり表す子供たちを見守りながら、夫と私は顔を見合わせてニンマリと満足感に浸った。娘は彼をクリオと名づけた。 しかしハネムーンは長く続かなかった。コロコロとしていたクリオはグレムリンのように見る見るうちに大きくなり、彼が尻尾を振ると大きな団扇のようにテーブルの上の物を全て払い落とし、台所のカウンターに前脚をかけて料理中の食べ物を失敬し、トレーニング・スクールにも通ったが、お行儀はよくならなかった。夫婦共稼ぎの家庭で犬の訓練に十分時間も費やせず、子供たちより大きな身体のクリオのお散歩も大変な仕事となったし、何よりも小さな家に大きな犬を閉じ込めらるのはクリオにとっても良くないと判断した。夫の実家があるイースタン・ショアの広い野原に連れてゆくと、金髪を波打たせて、晴れ晴れと走り回るクリオは見事なソローブレッドのように美しかった。 子供たちと相談してクリオを手放すことにした。新聞に広告を載せると次々と希望者がやってきた。子供たちも交えて、希望者を面接し、クリオの新しい住処となる家を訪問して、希望者の人柄や住宅環境を子供たちと採点した。“あの夫婦は共稼ぎだからクリオと十分時間が過ごせないから駄目、あの家は狭すぎるから駄目、庭で飼うなんてもってのほか!”と落第点ばかり。其のうちに、夫の実家の近くに住む家族の犬が最近亡くなったので、是非クリオを欲しいと申し出た。早速チョップタンク・リバーに面した庭がある其の家を訪ねた。おおらかな感じの夫と専業主婦は韓国人の小さな女の子と男の子を養子・養女にしていた。犬の寝床、玩具、その他の必要品は全て揃っていた。この家族にクリオを譲ることに4人で合意した。 養子縁組を組んでワシントンの家に戻る道すがら、二人の子供たちは“こんなに悲しいことは人生で再び起こらない!”と号泣し続けた。 それから数年後、再び犬に挑戦することになった。子供たちも高学年になり、体力も備わり、家も少し広くなり、住み込みのお手伝いさんもいて生活もいくらか安定したと思えたからである。今回は動物愛護協会に保護されている犬の救済を考えた。数件の施設を訪れた後、ニューヨーク・アヴェニューにある外見は見つぼらしい愛護協会に足を踏み入れた。動物の臭いがむっと鼻につき、すぐさま引き返したかったのだが喜び勇んで走りこんだ子供たちの後に続いた。そこで、いろいろな犬を紹介された。まだ生まれたばかりの犬、疲れたような犬、檻の中を走り回る犬、ワンワンほえ続ける犬。檻にうずくまって悲しそうな表情のブロンドの美男子がシンプソンだった。係りの人は“あの犬にはすでに予約が3件入っています。4件目はとりません。こちらの黒い犬なら今日お持ち帰りになれます”と言った。夫は其の黒い犬を、子供たちは子犬を引き取りたいと言ったが、私は4件目でもかまいませんから、予約にのせてくださいと主張した。 動物愛護協会からの引き取りの手続きは思いのほか大変だった。ともかく、私たちの前の3人は不適格と判断されて、4番目の私たちに順番が回ってきたくらいだから・・・ 引き取り手がいない犬は処置され、決まった犬には去勢が施される。その費用を支払い、1週間後に引き取りと決定されてから夫と二人で日本に出張に出かけた。日本に滞在中、新たな愛犬を手に入れて喜びに浸っている子供たちに電話をかけると、意外にも、愛護協会の人が家庭訪問にやってきたが住み込みのお手伝いさんがいなかったので、駄目。家を見るだけでなく、家族全員を面接する必要があるので、後日にアポイントメント。お手伝いさんとのアポイントメントの後、今度は大丈夫と思って再び日本から子供たちに電話をすると、また、駄目。子供たちが指定された日の放課後、友達の車でいそいそと愛護協会に出向くと、4時の閉店直後に到着したので、そんな無責任な若者には渡せないと拒絶されたと失望の声。私は日本から数回係りの人に電話で事情を説明することになった。 このような経緯で我が家のペットとなったのがシンプソンである。シンプソンと名づけたのは彼を発見した私である。一番犬を飼うことに不熱心な私にいろいろな責任を負わせておけば、家族安泰と夫と子供たちは判断したのだろう。シンプソンが虐待された持ち主から救われて愛護協会にやってきた時には彼の年は多分1歳か2歳と推察された。我が家の二階に連れてゆくと階段から下りることをしないので、元の飼い主は階下でシンプソンを虐待したのかもしれないと想像した。自動車に乗せるとすぐに吐き気をもよおすので、あまり車には乗ったことはないのかもしれない。散歩に出て、石段を見かけるとすぐに駆け上がるので、石段のある家に優しい人がいたのかもしれないねなどと話し合った。 シンプソンが家にやってきた当初は、子供たちが大学生になると一年目は大学の寮生活だが2年目からはアパートに移るので、シンプソンを連れてゆく、はずだった。 ところが、子供たちは大学を中退したり、ニューヨークの大学に転校して、狭いアパートに住んでいたり、夫は退職してニューハンプシャーの湖に面したウサギ小屋とワシントンの家を行ったりきたりしているため、結局、シンプソンは一番気が進まない私のもとにとどまる羽目になってしまった。表情が豊かなシンプソンは私が仕事から夕方戻ってくると、“さあ、お散歩です。一日中待ってました。”と静かに迫力を込めて訴える。疲れて帰宅して、夕食の支度もしなくてはならないのに、まず一番先にするのが乗り気のしない犬のお散歩である。まあ、運動も必要だからと思い直すのだが、シンプソンはあちこちに立ち止まって、クンクンと身体を震わせて、他の犬の残していった“名刺”に熱中する。これでは私の運動にもならない。 シンプソンはいまでもなかなかの美男子である。年をとってもあまり年寄りくさく見えない。“オサンポ?”と日本語で聞くと飛び上がって体中で喜びを表現する。夫が長い旅行から帰ってくると前歯をむき出して笑いながら“ウウーン、アウーン”と一生懸命話しかけようとする。シンプソンは一日中家にいて私たちの長年の行状の一部始終を見てきているから、本当に話しが出来たら恐ろしいと思う。今後、何年シンプソンとの生活が続くかわからないけれど、天国に行って突然話しが出来るようになり“Kiss and Tell”式に私たちの生活を暴露されたら大変と用心して、私はこれからも彼の世話を続けてゆくだろう。 |