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![]() ![]() 『THE AGE OF TURBULENCE (?)』
日本銀行 森 成城
「所長としてワシントン事務所に異動する話が進んでいるが、どう思うか?」と、当時の上司(金融市場局長)は、小生を部屋に呼び込み、言いました(形式は質問でした)。その瞬間、頭にかすめたのは、弁護士として働いている妻の戸惑う顔、そして、まもなく最終決済を迎える中古住宅の購入契約でした。「とりあえず家族に相談させてください」と頭を下げて這々の体で局長室を出て、こっそりメールで妻に伝えました。帰宅して妻に言われたことは、「家を買うと転勤になると聞いたことあるけど、本当ね。まあ中古だし貸せばいいじゃない」(確かに貸さないと借金を返せないね)、「断るという選択肢は無いのでしょう」(そうだね)、「私が働かなくても生活していけるよね」(多分ね)、「海外生活も楽しそうじゃない」(そうかもね)。結局、「この話を受けると離婚されるかもしれません」という究極の断り文句(?)を言えず、2ヶ月前に赴任して参りました。ワシントンDCと言われて何を思い浮かべるかは、当然、人によって違うでしょうが、セントラルバンカーとしてはFRBでしょう。そして、小生にとってFRBと言えば、まずGreenspan前議長を思い浮かべます。日本銀行に1989年に入り、ほぼGreenspan前議長の時代を過ごしてきたという意識があるからかもしれません。Greenspanの回顧録("THE AGE OF TURBULENCE")が出版された直後なので、極めて希薄かつ僅かながら、前議長との接点を求めて、過去を少々振り返ってみます。 「接点」と申しても、残念ながら、ご本人と直接言葉を交わしたことはありません(前議長の護衛担当や秘書とは話したことがあります)。強いて言えば、同じ部屋の遠く離れた席で食事をする機会は幾度かあり、GreenspanがTietmeyer、George(Eddie)、Trichet、Crocket(Andrew)などとお話しながら食事をしておられる姿をお見かけした程度です。こうした希薄な接点の中で、個人的に印象深いのは、回顧録のINTRODUCTIONで語られている9・11(2001年9月11日の同時多発テロ)です。当時、小生は副総裁(当時)の秘書になったばかりで、2001年9月上旬のBIS(国際決済銀行)での総裁会議に出席したボスに随行していました。バーゼル(スイス)のヒルトンホテルのExecutive LoungeやBISの最上階の昼食会場でGreenspanを筆頭とするcharismaticな総裁達を遠目で見ては軽い興奮を覚えました。バーゼルでのロジ方としての初仕事を終えてほっとしながら、ボスとともにフランクフルトから全日空機に搭乗した日が9・11でした。Greenspanのように機内で大事件の発生を知らされることなく、成田に到着したら普段は来ることのない日銀のスタッフが駆け寄ってきて、小生に何の説明もなく新聞などを大量に手渡し、無言で新聞の一面トップの写真を指さしました。写真の身の毛もよだつような光景に呆然としたのも束の間、副総裁の指示に基づいて、ニューヨークやワシントンDC事務所関係者など米国所在者の安否確認、資金決済・金融市場動向・金融市場調節などの情報収集を携帯電話で行いました。空港から本店に直行して、一段落してから妻に電話したところ、9・11の夜はニュースを見て心配でまともに眠れなかったと申しておりました。 9・11後の2年半は、均して月1回の頻度で海外出張随行が続きました。9・11直後の米欧出張の際には、個人負担で生命保険を1億円に増額したことを覚えています。Greenspanをバーゼルなどで見る機会は減りました。9・11以降は、Ferguson前副議長と同時に海外出張することをやめたと聞きました。ただ、一度だけGreenspanとニアミス(?)したことがあります。小生のボスがある国際会議でGreenspanと一緒になり、ホテルの一室での面談を急遽セットすることになったのです。ボスとともにその部屋に行き、小生は部屋の外でGreenspanを出迎えるべく待っていました。暫くして現れた目付きの鋭い立派な体格の男に誰何されました。自己紹介すると、自分はGreenspanの護衛を担当している者だ(朧気な記憶ながら回顧録の冒頭に登場するBob Agnew氏だったと思います)と言われ、部屋に通しました。彼は中をじっくりと見回した後、小生に向かって、「お前のことを信用していないのではないが、部屋の外で待つのは自分だけにしてほしい。自分が責任を持って警備する」と言うので、ボスの顔をちらっと見ると肯いていたので、やむなくその場を立ち去りました。Greenspanを出迎えるという目論見は破れました。 ということで、Greenspanとの「接点」は、あくまでも聴衆の一人としてその発言に耳を傾けるというごく普通のものに終始したのが現実です。Greenspanのスピーチは、結局のところ何を言いたかったのか分からないことが少なくないほか、聞いたこともないvocabularyが使われており、「メモ取り」泣かせでした。ただ、その発言の一つ一つは、FRBの優秀なエコノミストによる調査研究の裏付けがあり、グローバル金融資本市場に対する影響を意識して綿密に練られているという面で、セントラルバンカーにとって含蓄に富んだ教科書とも言えるものであったと個人的には思います。そういう意味でも、Greenspanの時代をリアルタイムで過ごしたことは幸運であったかもしれません。 さて、Greenspanが去った後のワシントンDCに赴任してきて、"THE AGE OF TURBULENCE"はまだ続いていると認識せざるを得ない状況を目の当りにしています。一つの時代をリードした人物の評価は後世に委ねられるので、Greenspanの評価もまだ定まったとは言えないでしょう。Greenspanが回顧録に"I was very comfortable leaving the post in the hands of such an experienced successor."と書いているBernanke議長も、まさにその手腕が問われています。小生自身は大したことはできませんが、自己満足であろうと、「あの時ワシントンDCに赴任して良かった。まさに"ADVENTURES IN A NEW WORLD"だった」と振り返ることのできるような日々を過ごせたらと期しております。(文中敬称略) |