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![]() ![]() 『今月の書評』
池原麻里子
『アトミック・バザー』ポトマック・アソシエーツ ウィリアム・ランゲヴィッシェ(ファラー・ストラウス&ジルー社) ランゲヴィッシェはヴァニティー・フェア誌移籍前はアトランティック誌の記者で、その調査記事には定評がある。本書は2005年から2006年にかけてアトランティック誌に掲載された記事のまとめで、前半はソ連の崩壊に伴う核拡散問題、後半はA.Q.カーンによるパキスタンの核開発と核拡散活動を詳細に描いている。副題は『核所有貧困国の台頭』(ライズ・オブ・ニュークリア・プア)でプアはパワー(大国)をもじったものだ。 第一章は広島原爆投下から始まる。そしてエノラ・ゲイのパイロット、ポール・ティベッツや、1990年代のスミソニアン博物館航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ展騒動に簡単に触れている。9・11同時多発テロ11ヶ月後のスタッズ・ターケルとのインタビューで、ティベッツはカブール、カイロ、メッカに原爆投下すべきで、「無実な市民を同時に殺すことになるが、無実な市民を殺さない戦争などない。新聞が『多くの市民を殺した』と騒ぐからいけないのだ。そこにいたのが運が悪い。」と答えている。広島の被爆者が聞いたら、さぞかし憤慨することだろうが、残念ながら戦争の冷酷な真実ではある。 第二章はソ連崩壊後の核拡散防止活動について。米国政府は旧ソ連の核拡散に危機感を抱き、93年から国防省とエネルギー省による拡散防止プログラムを施行している。国防省のプログラムは核弾頭を集中管理し、それを運ぶミサイルや航空機、潜水艦をある程度破壊。エネルギー省のプログラムは年間17億ドルの予算で核物質のセーフガードを強化するものだ。予算の半分は米国側のオーバーヘッドと管理費だ。残りの予算で55の施設の220の建物の警備強化を目指している。ところがこれがどうもあまり効果がないようだ。 当然ながらロシアの核物質がテロリストの手に渡る可能性がある。ソ連崩壊後、濃縮ウラニウムが闇取引されたのが発覚したケースは、IAEA(国際原子力機関)に報告されているだけでも17件。取引ルートは西欧からグルジア、アゼルバイジャン、アルメニア、イランと南コーカサス地方に移り、その後はトルコが中心となっている。ザルツブルグ大学のデータベースによると、93年以後、イスタンブール周辺で発覚した取引は20件だそうだ。 第三章ではパキスタンの核兵器の父の一人、A.Q.カーンの生い立ち、オランダのUrencoという企業に勤務し、ウラニウム濃縮に必要な遠心分離装置の設計図などを盗み出し、75年にパキスタンに戻った翌年から遠心分離装置の建設に専念するようになった経過が描かれている。そしてパキスタンはインドに続き、98年5月に核実験に成功する。初のイスラム核爆弾にイスラム教徒たちは狂喜し、カーンは国民的英雄となる。 第四章では80年代末からのカーンの核拡散活動が描かれている。90年代末にはカーンの研究所はマレーシア、インドネシア、アブダビなどの国際兵器見本市にセールスマンを派遣し、核兵器と通常兵器の販売を促進するようになる。イラン、リビア、北朝鮮がクライアントになった。北朝鮮とはノドン型中距離ミサイルと遠心分離装置のデザインを交換した。イラクもアプローチされたが、罠と考え、取引しなかった。 以上の活動は当然ながらムシャラフ大統領が容認して行われたものだ。しかし、9・11同時多発テロ以後、アメリカの「テロとの戦いの同盟国」となったムシャラフが、カーンについてブッシュ政権から厳しく追及されることはなかった。2005年8月、パキスタン政府はカーンの取り調べが終了したと発表したが、カーンの軟禁状態は続き、西側は事情聴取できない。 筆者が指摘するようにイランをはじめ、今後さらに核兵器所有国家が増えることはもはや阻止できないだろう。冷戦時代との違いはこれらの国家の指令管制システムが脆弱なこと、そして核兵器使用を躊躇しないことだ。広島・長崎が被爆してから60年余経つが、我々は21世紀中に再び原爆の悲劇に見舞われることになるのだろうか。 (NEW LEADER 2007年8月号より転載) ![]() |