

『カブールからワシントンへ』
在米国日本大使館 総務公使
加藤 元彦
- "防弾チョッキはこれほど重いのか"というのがアフガニスタンに赴任して始めて感じた印象であった。2004年10月に駐アフガニスタン日本国大使館に次席公使として赴任して、はじめてアフガニスタンの地を踏んだ。カブール空港において戦車の残骸や“地雷危険”といった立て札を多数目にした。カブールに国連機で到着した各国大使館員はそれぞれのボデイーガードの物々しい警護により防弾車に乗り込む。私も日本大使館の館用車に乗り込み大使館に向かった。車は防弾車であったが、車中で何が起きるかわからないから防弾チョッキを着用するように言われた。20kgあり、ズシリと重さを感じた。この日をはじめとして約2年の厳しい日々が続くことになる。しかし弱音を吐く暇はなく、次席として多忙な毎日であった。危険を承知で各地を訪れ、復興支援のプロジェクト策定や進捗状況のチェックを行う必要があった。遠隔の地において日本の支援で学校が完成すれば、出かけていってスピーチを行うことも重要な仕事であった。新しい校舎のなかで貧しいながらに勉学に意欲を燃やす子供たちの笑顔が忘れられない。
- カブールは小さいながらに質の高い国際コミュニテイーが存在していた。主要国大使館員、国連機関関係者およびISAFや米軍などにはやる気と使命感をもった立派な人間が多かった。若いNGOの人々の活動にも感銘を受けた。このような人々と援助の調整などについて真剣な議論を行うわけであるが、これらの人々の積極的な活動に勇気つけられ、日本のプレゼンスを高めるために、自らを奮い立たせながら2年間を過ごしてきたと思う。この経験は私の25年間の外務省生活のなかで苦しいながらも最も充実したものであり、これから如何なる困難に遭遇しても耐えていける精神的訓練になったものと感じている。しかし3ケ月の勤務の後の2週間の休暇と家族からの励ましのメールが心の支えであったことは間違いない。休暇まであと何日と過ぎ去った日々を赤のペンで消しながら、どうして日々が過ぎるのはこんなに遅いのかと心の中で叫んだことも何度もあった。
- ワシントン近郊のゴルフ場はどこも美しい。本年夏に当地に赴任して以来、ゴルフをする機会が増えた。人々は何の心配もなくプレーを楽しむことができ、澄んだ空気を胸いっぱい吸い込むことができる。クラブハウスにおいてはすきなものを口に入れることが出来る。約1ケ月前のNYタイムズの一面にカブールゴルフクラブの記事がみすぼらしいクラブの看板の写真とともに掲載されていた。私の在任中もゴルフ場の話は聞いたことがあった。しかし地雷の処理は終わっておらず、誘拐の脅威は高いと聞いていた。またカブールにおいては下水道の施設は皆無といってよく、風が吹き埃が舞い上がると空気を吸うことに躊躇した。外出した後はうがい薬とともにミネラルヲーターでうがいをした。目の病気も心配であった。カブールでのゴルフはしたがって命がけという状況であった。ワシントンでのゴルフは正に喜びをかみしめながらプレーしているが、アフガニスタンの状況が常に脳裏に浮かんでくる。これから冬が到来する。ワシントンの冬も寒いと聞くが、アフガニスタンの冬は過酷である。燃料や食料の不足が慢性化して体力のない老人や女性、子供が死んでいく。現在米国では大統領選挙に向けて候補者の間でデベートが盛んである。テロとの戦いは最も重要な争点になっている。アフガニスタンにおいて本年で既に100名以上の米兵が犠牲になっているという。しかしアフガニスタンの復興は長く険しい道のりが続くと思われる。カブールゴルフクラブでプレーする人がどれだけ増えるかが復興のバロメーターになるのかもしれない。
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