『商工会20周年特集インタビュー 第1回』


ワシントン日本商工会の元理事でもある、Samuels International Associates, Inc. のSenior Vice President西本恵子氏に「商工会の、更には日米関係の将来」について伺った。(聞き手は会報担当理事 奥 智之)

西本氏は1967年にワシントンDCに来られて41年、商工会活動に参加されてから20年超。4人のお子さんの育児の傍ら、コンサルティング活動を中心として、さまざまな面で日米関係の発展に貢献されてきた。そしてその活躍は現在もなお続いている。

西本氏:お申し越しの「日米関係の将来について」語るのは大変おこがましく、その立場にもないので、ワシントンで「一体何をしてきたの」という皆様の素朴な疑問にお答えすることで、義務を果たしたいと思います。

長いこと専業主婦だったのですが、主人の仕事の関係でワシントンに来て暫くしてから国務省Voice of America放送の日本語版を作成する仕事を頂きました。それをきっかけにアムトラックの北東回廊鉄道改良計画に対する日本の国鉄(当時)の技術協力に関与する事になりました。鉄道を本で学び、現場を歩いて国鉄技術者の方から色々教えていただきました。結果的にこのプロジェクトに10年近く携わることになりました。

鉄道は非常に人間くさいものだと思います。人々が定時制や快適さ、技術そして現場の作業に求めるものは日本とアメリカではかなり違うことを実感し、鉄道を通して日米彼我の差を考えさせられることが多くありました。このことがその後日米関係を考える上で得がたい経験となりました。

今でこそインターネットを通じ情報は氾濫していますが、当時はFAXに感激し、ワープロ(一太郎)と格闘した時代ですから情報はかなり限られていました。そして日本企業が徐々にアメリカに工場進出しつつある時代でもありました。ワシントンDCに住む私達の役割は、現在とはおのずから異なっていたと思います。

その後、テラムラ・インターナショナルの創立メンバーとして始めてサラリーマンになりました。ネルソン・レポートで知られるクリス・ネルソンともそのとき以来の同僚です。当時、日米関係は必ずしもスムーズではなく、半導体、自動車などの貿易摩擦もありました。その解決の一助となる仕事、自動車部品企業の対米進出などのお手伝いもさせていただきました。組合問題にも関与させていただき、非常にエキサイティングでした。
聞き手:その頃の、日本とアメリカの考え方の違いを西本さん自身が感じ、アメリカの組合とは何ぞや、という点を色々な人に聞き理解されたのですね。
西本氏:第三者として現場や地元の声を聞き、従業員管理に長けた人材を探し、叉、より良い弁護士事務所をアドバイスしたりいたしました。当事者ではない、ということが有利に働き、現場や地元の人々の本音や生の情報が得られたのではないかと思います。
聞き手:当時はまだアメリカ独特の慣行について情報が入手しにくい時代でしたから、決定権はもちろん企業側にありますが、決める為の情報を伝える、まさに一押しする、あるいは潤滑油としての役割を西本さんが果たされていたのですね。
西本氏:地域社会、現場、日本と情報を繋ぐという事でしょうか。皆様それぞれにお立場があるので言動にもおのずから制約があるのですが、私のような部外者は柵(しがらみ)にとらわれず、かなり自由に発言でき、それが有効であったということかもしれません。
聞き手:アメリカ人が日本人とちょっと違う面があることを教えながら、人と人を繋ぐという事は、情報が手に入りやすくなった今でもなお、依然として出てくる事ではないでしょうか。

情報氾濫の時代こそ、「人」に価値

西本氏:そう言えれば有難いのですが、インターネットで調べてそれで事足りると思われてしまわれることもあります。
聞き手:今は情報氾濫時代で、自分で調べそれで分かった様な気になるが、いつかすれ違いが起きてしまう。それが怖いですね。
西本氏:そうですね。昔は、もう少し血の通った情報の入手が可能でした。アメリカの官庁でも、法の解釈なり政策の見通しなり、かなり親切に教えて下さったのですが、今では何でもドット・コムでWEBSITEを見なさい、で、終わってしまいます。ワシントンにいることの価値が薄れましたが、その価値を保つことも私達の仕事だと思っております。

技術、法制度の違いなどにもその国独特の背景がありますね。ひとつ例を言えば、JR西日本の事故の後に問題となった車体強度基準があります。アメリカの強度基準も検討することになりましたが、数値の是非を論ずるには、背後にある歴史、扱う人間の違い、社会環境などを考慮する必要があるでしょう。
聞き手:背景を知るという消化の時点では、やはりWEBだけでは事足りず、誰に聞くかが重要になってくる訳ですね。
西本氏:人脈は重要でしょう。昔は、時代の流れが変わる節目に、日本企業が大挙してアメリカの官庁や企業を訪問するということが多くありました。州際道路網(インターステート)の整備から始まり、鉄道、電力、通信の自由化など等。アメリカの官庁は、それなりに親切に対応してくださいましたが、時として納税者でもない日本の方々の勝手な要望(感謝の念のない)に恥ずかしい思いをすることもありました。

聞く一方で、自分のことを説明しない日本

聞き手:アメリカ側にどう説明するのですか? “交渉術”があるのですか?
西本氏:アメリカは懐が広いと思わせる局面は多々ありました。円滑に情報を引き出すアレンジをするには、やはりquid pro quo(見返り)が必要で、持ちつ持たれつの信頼関係が大切でしょう。ところが日本側は、アメリカへは聞いてくるのに、アメリカが聞きたい時にきちんと答えない場合があります。自分達は調査団をたくさん送ってくる割には、アメリカ側からの問い合わせには「時間が無い」などと言って断られる事が多い。そこを円滑に相手を怒らせないようにしながら情報を引き出す、というアレンジですね。最後はアメリカ側も分かってくれる。懐が広いとつくづく思いますね。
聞き手:アメリカの懐が広いのは、いろいろな分野でアメリカが進んでいて、自信があると言う事でしょうか。そういえば商工会の10周年記念会報の対談内にあるように、「アメリカはアメリカ中心主義的」と思われがちだけれど、この国自体が実はヨーロッパや最近はアジアからの影響等、さまざまな考え方を柔軟に取り入れていき、議論も散々するけれど、その上で新しいものを創り出す、そういう柔軟性を持っている所が根底にあるのではないか。それがアメリカ側へ問い合わせた時の対応にも表れる所があるのでしょうね。アメリカ側も日本の調査団の質問から何か新しい考え方を得る。

双方に傷がつかないよう“緩衝材”に

西本氏:そうですね。叉人間の関係では、「直接言ってしまえばおしまい」という事が良くあります。根回しとも少し違うかもしれませんが、相手に面と向かって言うのではなく誰かをクッションにして、間接的に伝える。そうすることで予想以上に物事がスムーズに進むことがあります。
聞き手:そのためには当事者に、度量や幅や事案の行方の“読み”が必要ですね。ビジネスや政府間のこれからの日米関係でも、こうした度量や幅を、それも皆が持つことが大切ですね。
西本氏:権威ある人同士がいきなりYESやNOと言うとそれで終わりになってしまうことがよくあります。単純なアポ取り、日程の調整でも誰かが間にたつことで衝撃が緩和されることがありますでしょう。
聞き手:日本人だけに本音と建前があるのではなく、実はアメリカ側も似たような複雑な気持ちを持っていて、その間をどうやって繋げて成就させるか、という事ですね。

日本の「学ぶ」姿勢には感心

聞き手:最近はアジア、中国や日本がアメリカの考え方に少しずつ影響を与えている、と言ってよいのでしょうか。
西本氏:そう考えてよいでしょう。「日本はどう考えるか。日本人だったらどうするか。」と聞かれるようになりました。しかし、アメリカ企業からの依頼はまだビジネスの開拓が多く、それに伴う「政策や戦略」を聞かれることはありますが、日本の政策を学ぶということは少ないように思います。残念ですけれど。逆に日本がここまで伸びてきたのは人のやっている事をまず知ろう、という姿勢があったからではないでしょうか。

昔は商工会に女性の理事はいなかった

聞き手:最後に女性の立場から日本企業や商工会をどういう風に考えられていますか? アメリカの企業や官公庁に対しては20年前から男女の隔たりを感じませんでしたか?
西本氏:アメリカでは仕事の上では、あまり男女の差は感じませんでした。ただ、現在の社会や商工会を見ると隔世の感を禁じ得ません。女性が怯むことなく当然のように発言なさっています。25年前では考えられない事でした。インフォーマルな会ですら女性は参加させて頂けませんでしたから。千葉会長の時代に初めて女性の理事が実現し、私がサミュエルズ社長の名代として理事に就任しました。現在では女性理事が2人、それが当たり前になってきています。あの時の千葉会長及び理事会のご英断に感謝せねばなりません。
聞き手:日本企業側の女性に対する態度で何かお感じになる事はありますか?
西本氏:今では年の功で、あまりそういうことは感じなくなりましたが、20年前に、寺村社長に同行して日本企業を訪問した時には、名刺を出す機会もありませんでした。お茶を出していただく順序もホスト側の男性よりも後でした。そういう経験からも、ワシントン商工会にも女性の理事が誕生しなければ本当の開かれた商工会にはならない、と思っておりました。商工会の歩みを見ると感無量です。20年以上前は日本人会的な親睦の集まりでした。今後商工会がどういう方向で発展していくのか楽しみです。人材の流動も激しいので、時の流れとともに自然に変わって行くでしょう。個人的には、仕事をやめた後、商工会はどう処遇して下さるか、一寸心配ですけれど….どうぞお見捨てなく(笑)。
聞き手:また是非そういうご意見も伺えたらと思います。ありがとうございました。



傍白

戦後の日本企業の海外活動は、製品を買ってもらうこと、資源の輸入、技術の購入から始まり、その後、海外での生産、合弁事業、技術を売ることも始まり、さらに外国企業の買収も頻繁になった。日本の親会社が外資系企業に変わることもある。こうした過程で、現地従業員の扱い、幹部への登用、組合紛争、知的財産紛争、モノ言う株主の問題など、込み入った課題は増える一方だ。だがこれは欧州企業が先に乗り越えてきた課題であり、今後、グローバル競争に生き残るために避けて通れない。

日本企業の複雑化する海外活動の前線で、“潤滑油”を超えて、“緩衝材”や“触媒”の役割を日米間で務めているのが西本さんである。

成熟した関係にあるはずの日米のビジネスや外交の「現場」では、互いに分かっているつもりでも、思わぬすれ違いがあったりする。人と人との繋ぎを「有効」にするのが私の役割だという、常に「現場」にいた西本さんのお話には、将来の日米関係を考える上でのヒントが潜む。

インタビュー途中に偶然、日米間のアポ取得関係の電話が入ったが、対応は鮮やかなものだった。年齢を感じさせないご活躍ぶりはゴルフ場だけではなかった。

(ワシントン日本商工会では、20周年企画の一環として、当地にて“かなり”長く活躍されている日本人の方へのインタビューや寄稿を進めています。西本さんにはその第1号として登場いただきました。)