『あのヒトは今? 地方再生に夢中』
激変の8ヶ月を振り返る 〜日米関係の現場から地方対策の現場へ〜


内閣官房地域活性化統合事務局 参事官 松本大樹
(前 在アメリカ合衆国日本国大使館参事官)

ワシントン日本商工会の皆様、大変ご無沙汰しております。大使館で昨年6月まで勤務し、皆様にお世話になっておりました松本です。早いもので、3年間の米国勤務の任期を終え昨年初夏に帰国して、既に半年が経ちました。われわれ役人にとって、一つのポストに3年間というのはむしろ長いほうで、着任当初はずっと米国に居られるような錯覚も覚えていたのですが、実際には、あっという間の3年間でした。

今回の私の場合、帰国して内閣官房地域活性化統合事務局というところに出向し、都市と地方の格差という、ワシントン時代と全く毛色の違う分野に取り組んでいます。私はもともと旧運輸省に入省したのですが、運輸省という役所は、航空や海運など対外折衝や国際的な組織のある仕事を所管している一方で、地方バスや鉄道、トラックなど、国際的な舞台とほとんど無縁の行政分野も持っています。海外勤務を終えて帰国すると、一転ドメスティックな仕事に就くことも珍しくはないのですが、それにしても私はかなり極端から極端へ、一気に行ってしまったという気がします。そこで、この激変ぶりについての報告も兼ねて、ワシントンと東京での自分の仕事について紹介してみたいと思います。

<ワシントン生活の集大成:連邦議会証言>

ワシントンの3年間の間、様々な経験をすることができたが、もっとも「得難い」という意味で思い出深いのは、昨年4月に連邦下院鉄道小委員会で行った議会証言であろう。これは、AMTRAKへの補助金法案の審議に当たり、世界各国の高速鉄道事情についてヒアリングすることになり、日本について説明を求められたものである。

ご承知の通り、米国での中長距離の都市間交通は航空機が中心であり、鉄道はわずかに北東回廊(ボストン〜ワシントン間)などで一定の利用がされているに過ぎない。本来鉄道は、都市中心部からのアクセス時間や定時性、輸送容量の点で航空機に比べて有利であり、我が国でも、移動距離500qから700q程度までは、鉄道のシェアが航空機を上回っている。しかし米国の鉄道をみてみると、定時性においては航空機と大差なく、高速性においては大きく飛行機に劣っており、航空機との競争は厳しいものとなっている。加えて、クルマ社会の米国では、500q程度でも自動車で移動してしまう人も多い。

このような状況から、米国でも鉄道サービスを改善するとともに路線も拡張し、旅客鉄道のシェアを高めるべきであるとの主張も多く聞かれる。私が仕事の上で付き合いが多かった運輸省の連邦鉄道庁や連邦公共交通局の人々はもちろんだが、米国では公共交通機関の整備はどちらかというと低所得者層向けの政策とされ、また地球温暖化対策としての側面を持っていることもあってか、連邦議会では、民主党議員に鉄道整備推進派が多い。一方政権与党の共和党は、小さな政府を目指す立場から鉄道整備に対する公的支援に消極的である。AMTRAKの赤字体質の抜本的改善が難しい以上、縮小均衡により連邦政府の歳出を削減しようとする。

2006年の中間選挙で連邦議会での多数派を奪った民主党は、鉄道政策についても積極的姿勢をとっている。そこで、諸外国における高速鉄道がいかに米国より進んでいるかを示し、米国での高速旅客鉄道整備の気運を少しでも高めようと、連邦下院運輸インフラ委員会鉄道小委員会において、フランス、ドイツ、スペイン、中国そして日本における高速鉄道の状況についてヒアリングを行うこととなった。

たまたま私は、国土交通省からの留学生を鉄道小委員会にインターンとして送り込んだりして、同小委員会の民主党スタッフとは面識があったことから、先方は気軽に私に対して議会での証言を依頼してきた。国土交通省は、我が国の新幹線技術を海外へも広めることに取り組んでおり、カリフォルニアを南北に縦断する高速鉄道建設構想等を有する米国も、重要なターゲットである。我が国新幹線技術を政策決定者に直接売り込むまたとない機会だけに、これを逃す手はない。しかし、日本のお役所組織の一員である私は、はたと考え込んでしまった。日本大使館員で、大使館員の身分でその仕事の内容について議会で証言をしたという先例がどうもなさそうなのだ。果たして受けることができるのか、東京の外務省と親元の国土交通省に問い合わせるが、どちらもどうも親身になって相談に乗ってくれない。何度かやりとりをして、最終的に問題はなかろうとの言質を取り付け、証言を引き受けたのは、証言予定日の4月19日のほんの1ヶ月ほど前のことだった。

続いて証言文や資料の作成となるわけだが、大使館員の証言に前例がない以上、どういうものを作ればいいのか皆目見当がつかない。幸いにして、大使館現地スタッフのIan Fried氏がかつて下院民主党スタッフであったことから、彼の全面的なバックアップを得て、この作業を行うことになった。とはいえ、しゃべるべき材料は自分がそれなりに集めなければならず、それらの資料は当然ながらほとんど日本語で書かれている。まずは与えられた10分間を埋められるよう、主張すべきことのポイントを大体決め、英語で文章を作り、現地スタッフにチェックしてもらい、さらに東京に確認してもらう(上越新幹線は、厳密には分岐する大宮からだとか、いかにも細かいコメントしか来なくて厭になったが)という作業を数回繰り返し、ようやくもっともらしい読み上げ原稿を作り上げた。

今どきの議会証言であるから、やはりプレゼンテーションはパワーポイントだろう。最近の霞ヶ関でのパワーポイント技能は進展著しい。特に国土交通省は、文章で書かれた資料は読んで下さらない大臣にお仕えしたこともあったりして、独自の進化を遂げていた。このノウハウをフルに生かし、それなりにビジュアルに訴えかけていると自負する資料を東京とやりとりしつつ作り上げ、4月19日の証言日を迎えることになった。

さて当日だが、さしものお気楽な私も柄にもなく緊張し、ちゃんと証言できたものかさすがに不安になっていた。何度も練習はしたものの所詮は日本人、アルファベットを共有するヨーロッパ人のような訳にはいかない。大勢の前で赤っ恥をかくことになってはと、あまり多くの方々にもお知らせせずに証言に臨んだ。証言自体は宣誓が必要となるような厳格なものではなく、最初に会議室で、小委員会所属の議員と立食で、(今となっては懐かしい)マフィンやデニッシュの朝食をとりつつ懇談し、それから議場に移動する。証言者5人のうちトップバッターはフランス、私は4番目である。

与えられた証言時間は10分間。座っている机の前のタイマーに残り時間が表示されるので、それを見つつ原稿を読み上げる。たまたま大使館のオフィスにおいてあった新幹線の模型を持ち込み、プレゼンテーション冒頭に頭上高く掲げてつかみとした。日本の国会でやれば不謹慎ということで厳重注意くらい受けるかも知れないが、アメリカの議員は至っておおらか、親委員会の運輸・社会基盤整備委員会委員長にして、民主党運輸族のドンであるオバースター委員長も、笑顔で「ブラボー」と声援を送ってくれた。これで自分も多少緊張がほぐれ、ちょっと余裕を持って原稿を読み上げていると、今度は遅れ気味になってきた。とっさにはしょりながら読もうとするが、アドリブで何とかなる英語力などあるわけもなく、少し早めに読み上げていった。

世界に冠たる新幹線のセールスポイントとして私が強調したのは、高速での営業運転を行っていること、高頻度で大量輸送サービスを提供していること、死亡事故を一件も出していない安全性、非常に高い信頼性、環境負荷の低さである。そしてこれらの特性を高いレベルで成立させるには、車両、線路、制御系等すべてを一体のシステムとして作り上げていくことが何よりも重要であることも、忘れてはならないポイントであった。

証言の中で、一番の驚きの反応があったのは、新幹線の定時性についての説明だろう。新幹線の年間平均遅延時間はどれくらいか?これは、米国滞在中に私がもっとも好んで米国人にしたクイズである。これに対する米国人の反応は概ね、「日本の新幹線なんだから、ものすごく正確なんだろ?う〜ん、5分?」といったところだった。折しも、私の前にプレゼンをしたスペインも、「スペイン国鉄の特急TARGOは、遅れはだいたい5分以内だ」と胸を張って証言していた。証言の中で私は、いつものようにクイズで問いかけた。答えを見て、議員たちや傍聴者がどよめく。正解は、わずか6秒。米国人には、とても信じられない数字だ。今回の証言は題材に恵まれた。JR東海ワシントン事務所の中山所長はじめ、JRの皆様に感謝した瞬間だった。

ヨーロッパ諸国、特にフランスと並んでの証言で実感されたのは、「高速旅客鉄道はフランスがいいに決まっているんだ」という先入観が、相当に米国の議員に浸透していたことだ。それに加えて、フランス国鉄からの証言者は口から先に生まれたような典型的なフランス男性である。議員の質問に真っ先に答弁を始めて延々としゃべり続け、ほかの証言者が話す時間がなくなってしまう。しかし、ここで手をこまねいていてはいけない。私は、ちゃんと英語で証言できるかどうかは二の次にして、とにかくこのフランス野郎より早く答弁しなければと、質問には何はともあれ手を挙げて発言を求めることにした。

何しろ、我らが新幹線は伊達じゃない。質疑応答では、客観的な事実から、日本の新幹線がいかに優れているかを強調していった。フランスが「TGVは最近16年間死亡事故を起こしていない」と胸を張れば、「日本の新幹線は、1964年の開業以来40年以上、一人の事故死も出していない」と反論し、「TGVは、鉄道として世界最高速を達成した」とのプレゼンには、「世界最高速の陸上交通機関は、日本のMAGLEV(リニアモーターカー)である。でも、一度最高速を出すことが重要なのではなく、毎日の営業運転で信頼性をもって高速運行することが大切なのだ」と切り返した。また、日本の新幹線はむしろ黒字であること、米国の鉄道に対する一番のアドバイスは、新幹線は全体で一つのシステムとしてとらえなければ、このような完成度の高さは実現できないという、米国人からは目から鱗であったのではと思う。

ただ、私のこのような答弁でどのくらい議員たちの欧州びいきを改めさせることが出来たかは、正直分からない。また、今はある程度冷静に振り返っているが、証言席に座っている間は、議員の質問を正確に聞き取ることが出来たのか、このような答え方をして分かってもらえるのか、といったことを考えて頭がいっぱいで、あっという間に時間が過ぎてしまったというのが実際のところだ。

証言終了後、小委員長であるブラウン議員(民主・フロリダ)とオバースター委員長が席まで来られて挨拶をした。そのときの様子が次の写真である。さすがに、米国の運輸族のドンであるオバースター議員との会話は緊張するものであったが、最後に私のしていた一張羅のネクタイを指さして、“I like your tie.”と茶目っ気のある笑顔で言われたのが、妙に印象に残っている。



<地域活性化の現場に立って>

さて、この新幹線を使って最近私が毎週のように出かけていっているのが、中部地方である。昨年6月末に帰国した私は、7月の霞ヶ関大人事異動の中で、国土交通省から内閣官房に出向を命ぜられた。出向先では、私は構造改革特区・地域再生担当参事官を仰せつかった。

構造改革特区というのは、様々な規制改革提案を広く募り、まずは特区という形で限定的に実施してみて、支障がないようなら全国へ展開するという形で構造改革を進めるというプログラムである。これまでの規制改革が、有識者や業界からの指摘に対応する形で進められているのと違い、国民全般から広く提案を募ることから、より日常生活や地域に密着した内容が出てきている。いただいた提案をもとに、我々内閣官房が霞ヶ関の他省庁と折衝し、特区の設置や全国での規制緩和などを勝ち取っていくこととなる。

代表例とされるのが、農家民宿や農家レストランでどぶろくを製造して提供することを認める「どぶろく特区」である。酒造免許というのは、酒税徴収の観点から色々と規制が多く、その中に、年間醸造量が最低60kl以上というものがあり、これが、自家製どぶろくの製造を阻んでいる。そこで、最低醸造量に関する規制を特区においては撤廃し、農家が自分の作った米でどぶろく造りをすることを認めたのである。これにより、全国では77ものどぶろく特区が生まれ、様々などぶろくが現在製造されている。

昨年夏の私の着任当初は、この特区を中心とした比較的平和な日々が続いていた。それがにわかに雲行きが変わったのは、参議院選挙での自民党の歴史的大敗、そしてその後の安倍総理退陣からである。自民党が地方で敗北したのは、都市と地方の格差が深刻化しているためであるとし、地方に配慮した政策を行う必要がある、そのためにはまず内閣官房において、地方の活性化に取り組む体制を作るべきだ、との福田総理の就任早々の指示により、私の仕事が大きく変わっていくことになる。

まず手始めに、内閣官房にある地域活性化関係の組織を一元化した。私のいる特区推進室は、地域再生推進室という別の顔も持っている。このほか、都市再生、中心市街地活性化をやっている部署もあり、これら4つの看板を「地域活性化統合事務局」1本にすることになった。続いて、担当大臣もこれまでの行革担当大臣から地方行政を担当する増田総務大臣が兼務することになった。増田大臣は、岩手県で改革派知事として鳴らした方で、我々以上に地方行政の現場に精通されている。早速、矢継ぎ早に指示が飛んできた。政府が取り組んでいる地域活性化対策を体系化した「地方再生戦略」の策定、地域の活性化のために自発的に取り組む地域の関係者を支援する「地方の元気再生事業」予算の要求など、霞ヶ関の役人が通常想定するスケジュールより遙かに短期間でこなしていった。その中で、内閣官房の参事官8名がそれぞれに地域のブロックを担当に持ち、そこからの地域活性化に関係する様々な相談を一元的に受け付ける体制を作ることになった。私は北陸圏・中部圏(富山、石川、福井、長野、静岡、愛知、岐阜、三重)を担当することになった。最近私が、やたら中部地方に出張する所以である。

ところで、そもそも「都市と地方の格差」というのはどういうことなのだろうか。地方の人たちに言わせると、「東京には、六本木ヒルズや東京ミッドタウンなどができ、日本中の富を吸い上げている。一方で地方は、町の商店街は閉店が続出してシャッター通りとなり、山あいの集落には老人だけが取り残され、医療も生活の足もままならない。地方の人たちの犠牲の上に、東京が反映している。」となる。確かに、地方では日中がらんとした商店街も多いし、農産漁村の荒廃もあちこちで見られる。でもそれは、本当に東京に富を吸い上げられたからなのだろうか。

実は今、地方の停滞を招いているのは、もっと構造的な原因によるものであるという意見がある。1970年代の第2次ベビーブーム以降’90年頃まで、我が国では今以上に少子化の傾向が続いてきた。その結果、団塊ジュニア世代が就職した’90年代半ばから就職者が減少し、主要消費者である勤労者世代が減少していたのだ。これが、地方における経済の疲弊の背景にあるのではないだろうか。これまでは、国が公共事業で地方にバラ撒きをしたりして、なんとか問題を先送りしてきたが、もはや国にはその余裕はない。それならば、東京などに集中する税を地方に分配すればいいと思うかも知れないが、退職を始めた団塊世代は、高度成長期に地方から数多く首都圏に移ってきており、今後数年で、首都圏は空前の規模で高齢化が進むことになる。東京は、地方から数年遅れているだけで、同じように高齢化の道をたどっているのだ。

しかし、地方の実状をよく見てみると、あまねく衰退しているのかというとそうではない。どんどん沈んでいく地域がある一方で、ハンデをはねのけて活気を維持しているところもあるのだ。先日私は、出張で佐賀市と秋田市に行く機会があった。佐賀県庁の近くでたまたまコンビニを探さねばならなくなったのだが、なんと見あたらない。昭和の雰囲気漂うクリーニング店兼雑貨屋を運良く見つけ、用を足した。気づいてみれば、昼下がりの時間帯なのに歩く人も非常に少ない。一方の秋田市は、秋田新幹線開通で増築したまだ新しい駅舎を出ると、真っ先に目に付くのはいくつも並ぶサラ金の看板だ。この二つの市のご出身の方には申し訳ないが、どうも活気があるとは申し上げられない。

元気なところはどうだろうか。長野県南部の飯田市は、人口10万人の地方都市だが、ここに本社を置く多摩川精機鰍ヘ、高い技術力で世界的にビジネスを展開している。市も、自治基本条例の制定や都市住民の農業体験などユニークな取り組みを推進し、全国の自治体から視察が絶えない。諏訪地方にある原村は、人口は7500名ほどの小さな村だが、昭和50年以降わずかずつではあるものの増加傾向にある。基幹産業の農業は、セロリとアネモネが日本一の生産高を誇り、65歳以上の高齢者と中3以下の子供は医療費が無料である。大分県の豊後高田市は、昔のまま手つかずの商店街を逆手に取り、「昭和の町」として売り出し、観光地として注目されている。

つまるところ、地域が高齢化や地場産業の苦境などを跳ね返し、活気を維持できるかどうかは、地元がいかに知恵と熱意を出して取り組めるかにかかっているのではないかと私は思っている。10年前から相変わらずの、公共事業や国からの財政支援頼みの体質では、地方はどんどん地盤沈下して行くだけである。自分たちの置かれている状況を冷静に認識し、何が活かすことができる資源なのか、それをどう活用すればいいのか、地域の関係者が自ら知恵を出して汗をかかなければ、活性化は望めないと思う。

現在私の取り組んでいる地域活性化のためのいろいろな取り組みは、そのような地域の取り組みを引き出すためのきっかけづくりになればと思っている。幸か不幸か、私のいる内閣官房は巨額の予算など持っていない。足繁く担当の北陸・中部に出かけ、少しの予算で大きな効果をもたらすプロジェクトを掘り出すため、自分の目で見て直接地域の人たちと話をしていくしかないだろう。ワシントンにいた1年前の仕事とはえらく違うが、これはこれで面白く思い始めてきたこの頃である。