『商工会20周年特集インタビュー 第2回』


ワシントン日本商工会創立20周年を記念した特集インタビューシリーズの第二弾として、日系米人として初めて、大統領上級スタッフとして活躍されたウィリアム(モー)マルモト氏へのインタビュをまとめました。同氏は現在、The Asian Pacific American Institute for Congressional Studiesの理事長としてご活躍されています。 (聞き手は会報担当理事 小林知代)

The Asian Pacific American Institute for Congressional Studies(APICS)について

APAICSは1994年、ノーマン・ミネタ元運輸長官らによって、アジア・太平洋系米人による、政治の場でのプレゼンスを高めるために設立されました。今年で創立14年を迎えます。以前は、公職に就くアジア系米人は、ハワイやカリフォルニア州の議員をのぞき、ほとんど存在しませんでした。現在は、連邦・州・自治体レベルで公職についているアジア・太平洋系米人は、約2,000人にも上ります。そして、この数は、現在も増加の一途をたどり、米国社会におけるアジア・太平洋系アメリカ人を取り巻く環境が変わるとともに、政治の世界への進出も伸びつつあります。

しかし一方で、アフリカ系米人、ヒスパニック系米人など、他のマイノリティー・コミュニティから比べれば、アジア・太平洋系米人のプレゼンスはまだまだ低いといわざるをえません。なぜ、他のマイノリティに比べてアジア・太平洋系移民の中で、公共政策や政治に携わる人が少ないかというと、アジア文化のひかえめなところがあることや、一世や二世の移民者にとって、新天地で生きていくことが精一杯で、公共政策に取り組んでいく財政的かつ精神的な余裕がなかったといえるかもしれません。

現在、米国におけるアジア・太平洋系米人口は、1,400万人です。これは、米国の全人口の4%にあたります。一口にアジア・太平洋系米人といっても非常に多様な民族からなりたっており、現在、米国には25のアジア・太平洋系米人グループに分けることができます。その中で、一番人口が多いのがインド系、次が中国系です。日系人の数は、それらに比べると、とても少ないです。アジア・太平洋系米人のグループの中にもいろいろな特徴があり、中には、政治的に活発なグループもあります。日系は、全般的にとてもおとなしいようです。日系移民は、伝統的に手に職をつけるというのを重んじたこともあり、医師・弁護士などプロフェッショナルな職業に就いている人が多いです。

アジア・太平洋系のうち公職に就いているのは2,000人といいましたが、このグループが米国全体の人口に占める割合が4%であることを考えると、政治面でのプレゼンス率は非常に小さく、0.01%にも満たないのではないでしょうか。しかし、公職につくアジア・太平洋系米人の数は、過去数年間で増大しています。最近では、特に若い世代のリーダーが出てきています。これは大変喜ばしいことであり、歓迎すべき傾向だと思っています。今後、三世、四世を中心に、さらに積極的に政治の世界に進出していくことを期待したいと思います。

アジア・太平洋系米人は、ビジネスの世界でも今まではあまりトップ・ポストに就く人はいませんでしたが、その数も増えつつあります。現在、フォーチュン500社の役員ポストに就いているアジア・太平洋系米人は、80人ほどいます。インテル、マイクロソフト社のようなIT企業から、エイボン社などさまざまですが、まだまだ数は少ないことも事実です。

米国史上初のアジア・太平洋系米人ホワイトハウス・スタッフ

私の両親は1920年代半ばに和歌山県から移住してきました。私はニ世です。第二次世界大戦が始まり、私が6歳か7歳の頃、日系人強制収用所に送られました。最初は、もともと厩舎だった場所に送られ、その後、アリゾナ州の収容所でも過ごしました。

戦後、その後、南カリフォルニアのオレンジ郡のメキシカン・コミュニティに引っ越しました。私は高校で初のアジア・太平洋系米人として生徒会長に選ばれました。その後ニクソン大統領の母校であるWhittier 大学に進学したわけですが、そこでも、初のアジア系米人として、大学の学生会長を務めました。この大学の縁があって、後にニクソン大統領の下のホワイトハウスでスタッフとして働くことになったのです。

大学を卒業後、ロサンゼルス時代には、企業のエクゼクティブをリクルートする人材ヘッドハンティング会社に勤めました。その当時は、主に白人を中心にリクルーティイングを行っており、ほとんどアジア・太平洋系米人は、そういったリクルーティングの対象にはなっていませんでした。

1969年に、初の日系人はもとより、初のアジア・太平洋系米人としてホワイトハウスのシニアスタッフになりました。当時のニクソン政権では、マイノリティーとして、私のほかに、2人のアフリカ系米人がおりました。ヒスパニック系は一人もいませんでした。ニクソン政権は1968年から1974年まで続きましたが、私は1969年から1973年の3年間をホワイトハウス・スタッフとして勤務しました。当時、私が任命されたとき、アジア・太平洋系米人グループはみな大変喜んでくれました。誇らしい気持ちだったようです。私は、ホワイトハウスのダイニングルームにも出入りできましたので、地元の州から来た友人達を食事などによく招待したものです。今は一般公開されているところは限定されておりますが、当時は、故郷の同士や友人達をルーズベルト・ルーム、ローズガーデン、プレジデンシャル・ルームなどに案内できました。また、ケネディーセンターの大統領専用ボックスオフィスなども利用させてもらったのを覚えています。

私は、人事担当として、ホワイトハウス・スタッフをリクルートする任務を担当していました。私自身はアジア系でしたが、当時は、アジア・太平洋系米人の数はとても少なかったのですが、ヒスパニック系米人のリクルートを担当しました。というのも、私がロサンセルスで育ち、ヒスパニック・コミュニティをよく理解しているということを、私の上司が知っていたからです。

1968年当時のヒスパニック系グループは、現在のように政治的影響力が強く、多様なグループが存在するのではなく、かなりシンプルな構成でした。現在はたくさんのラテン系、中南米系がいますが、当時はの主力は、キューバ系米人で、続いてプエルトリコ系、メキシコ系の3つのグループだけでした。ホワイトハウスのスタッフに占める、当時のヒスパニック系グループのリクルート率は7%程度でしたが、私が担当してからは、41%に一挙にあがりました。ちなみに、この記録は未だに破られていません。

日系企業への3つのアドバイス

日本企業は、米国で非常に尊敬されている地位を築き、グローバル経済の中でも大きく成功をおさめておられます。釈迦に説法かもしれませんが、3つほどアドバイスがあります。まず、こちらに来ておられる日本企業の幹部の方々は、米国の非営利団体や関連組織の理事に就くなど、もっと積極的にボランティアとして参画なさることをお薦めします。

ご存知のことと思いますが、米国はNPOの歴史が長く、多くの非営利団体は組織もしっかりしており、トップクラスの人々が運営に携わり、理事になる方々もビジネスで成功しておられる方々や大手企業のエグゼクティブの方々が多くおられます。このようなNPOの理事を務められることで、人的ネットワークも広がりますし、企業の世界だけでなく、米国社会の成り立ちが別の角度からも見えます。ただし、どのような組織と関わるか、それは十分吟味しなければいけません。あまり、賛否両論の激しいトピックを抱えている団体や、評判のよくないリーダーがいる組織には関わらないほうが無難です。

次に、日本企業の役員会や、米国支社の幹部などにアジア・太平洋系米人を起用することもよいと思います。米国には、約1,400万人のアジア・太平洋系米人がいます。国勢局の調査によると、数年後には1,700万人になるようです。これらのアジア・太平洋系米人は、この国の他のどのエスニック・グループより、最も高い教育レベル、収入、住宅保有率、そして購買力をもっており、ビジネスの観点から見ると、とても大きな市場です。このような米国内の成長グループを取り込むためにも、アジア・太平洋系米人のビジネスの側面から有力なリソースの一環として味方につけることのメリットは十分あると思えます。

第三に、日系企業は、今まで以上に積極的にフィランソロピー活動に取り組まれるのがよいと思います。グローバルに事業を展開する多くの日本企業は、すでにアメリカの非営利団体へ寄付しておられますが、もっとその活動を増やしていかれるとよいかと思われます。数年前、経団連から全米日系人博物館へ100万ドルの寄付がありました。これは非常に大きな寄付でした。そこに至るまでは、ソニーの故盛田会長にもご奔走していただき、寄付にこぎつけるまで数年を要しました。このように今後も米国社会の中で、貢献度をよりいっそう高めていくことはすばらしいと思います。

アメリカ社会の中で、アジア系を含む移民の位置づけも変わってきています。昔は、移民と言えばあまり学歴もない人達という感じでしたが、最近は違います。例えば、カリフォルニア州立大学の30-40%の学生はアジア・太平洋系です。私の学生時代はアジア・太平洋系の学生の数はごく少数でした。ほかの州も同様に、アジア・太平洋系の学生が学んでおり、認知度は変わってきています。このような流れの中で、米国社会においてアジア・太平洋系移民がますます活躍する機会が増えるでしょうし、日本企業がこのような潮流の中でますます米国社会の中で活躍されるのを、微力ながら応援できればと思っています。