『今月の書評』

池原麻里子
ポトマック・アソシエーツ

『黒鳥』

ナシム・ニコラス・タレブ著(ランダムハウス社)

本の原題は『ブラック・スワン』で、そもそもオーストラリアで黒鳥に出会うまで、欧州人が白鳥はすべて白いと思いこんでいたことを例に、観察や経験から得た知識の限界と脆さを意味している。長年、多数の白鳥を見て、白鳥は白いものだと思っていたのが、たった一羽の黒鳥に遭遇することによって、常識が無効になってしまうのだ。

著者が指す「黒鳥」的出来事には三つの特徴がある。第一に予期せぬ例外であること、第二は大きなインパクトがあること、第三は例外的な出来事でありながら、事後に説明をつけることによって説明や予見可能な出来事にしてしまうことだ。つまり「稀・大影響・事後の予見」ということになる。なお、起きると予想されていながら、起きないことも『ブラック・スワン』になる。具体例としては第一次大戦勃発、ヒトラーの台頭と第二次大戦、ソ連崩壊、イスラム原理主義の台頭、インターネット普及、1987年株暴落、およびあらゆる流行などがあげられる。予知しにくい出来事とそれがもたらす大インパクトは大きな謎として、著者にこの本を書かせた。

タレブはレバノン出身、ウォートン大学院MBA、パリ大学博士号を持つ、元デリバティブ・トレーダー、エッセイストである。トレーダー時代にはニューヨーク大学で七年、確率論のリスク管理適用について教えた。『ブラック・スワン』の前書『ランダムさにまどわされて』(Fooled by Randomness)はベストセラーとなり、二十カ国語に訳されている。

『黒鳥』では、我々がそもそもなぜ稀な出来事に不意を突かれてしまうのか。些細な点にとらわれ、全体像を把握できないのか。新聞を読むことで、世界に関する知識が減ってしまうのか。知らないことの方が、知っていることより重要であることなどが説明されている。企業経営などに役立ちそうなヒントもある。例えば発見や技術は、意図や計画の範囲外の「黒鳥」的出来事であることが多い。したがってトップダウンの計画に依存せずに、チャンスに遭遇したらそれをつかむことが成功の秘訣なのだそうだ。

我々が日常、陥りやすい誤解や不合理さも指摘されている。例えば多くの人は「テロリストの大半はイスラム教徒である」という文を、「イスラム教徒の大半はテロリストである」と誤解しがちである。仮に最初の文が正しいとして、99%のテロリストがイスラム教徒だとする。イスラム教徒が十億人、テロリストが一万人として、イスラム教徒の0.001%がテロリストという計算になるから、後の文とは大違いだ。

また我々は知っていることを重視しがちだ。というのも経験に基づき、一般論化することが人間の性質だからだ。自分の知識が限定的であることを忘れ、知識を重視し、未知や不確実なことは軽視する。しかし、強いチェス・プレーヤーは、自分の先の動きの弱点を熟考することに長けているし、ジョージ・ソロスが投機する場合には、自分の理論が誤っている場合を想定し、検討するそうだ。著者の祖父は防衛相だったが、レバノン戦争が長引くことを予想できなかった。知識も情報も豊かでも、その予想はあてにならないが、エリートは一般人よりより知っていると思いこみがちなのだ。一方、祖父の運転手は「神のみぞ知っている」と自分の知識の限界を認識していた。我々は成功が自分の能力に起因していると思いこみ、失敗は外的要因のせいにしがちでもある。

こういう観点から、著者が専門家とはいえない職種としてリストしているのは、株ブローカー、心理学者、裁判官、情報アナリスト(CIA等)、経済・金融学者、政治学者、リスク専門家などである。一方、専門家として認めているのは物理学者、数学者、会計士、保険アナリストなどだ。

ウンベルト・エーコにとって多数の蔵書の中の読んだ本より、読んでない本に価値があるのだという。私もいつか読みたいと思って山積みになっている本が、読み終えた本より価値があるのだと思えば多少、気が休まる。

(NEW LEADER 2008年4月号より転載)