| 聞き手: | ワシントンDCに来られた時の当時のご様子をお聞かせ下さい。 |
| 杉浦氏: | こちらに来たのは1989年です。この時は東京電力の所長として来ました。これは私にとっては初めての外国勤務でした。引っ越す事すら初めてでした。生まれてからずっと50数年、同じ場所に住んでいました。初めて引っ越しなるものをしたのがこの時でした。 それまでの30数年、私がやってた仕事と言うのは人事と労務なんですよ。ワシントンに来る直前は東電の研修所の長をしていたので、「今度ワシントンに来る奴はどうやら校長先生らしいぞ」と言われていたぐらいです。全く英語も初めて仕事も初めて、でした。エネルギーの会社にいながら人事、労務の仕事をしていた訳ですから。特に英語ができないと言う点では、非常に楽でした。むしろ皆が手伝ってくれ、お相手するアメリカの人達も一生懸命聞いてくれるんですよね。日本のスクール・イングリッシュと言うのは品が良いですね。そう言う意味では決して馬鹿にされませんでした。 私のアメリカでのスタートは面白いものでした。白紙の状態で着ていたので、たちまち好きになりました、アメリカの事が。理由は二つあり、一つは人間です。彼らは恐ろしく開放的でした。今まで付き合いのあったヨーロッパの方は決して開放的ではありませんでした。もう一つの大きい理由は自然の美しさです。特に素晴らしいのは「懐かしのヴァージニア/CARRY ME BACK TO OLD VIRGINIA」と言う歌にもあるよう、ヴァージニアやメリーランドですね。これは最初の6年間の滞在で50州あるうちの42州に足を踏み入れ、感じたことです。 スタートは本当に良い物でしたが、その良い物が今少し狂ってきているような感じがします。あんなにオープンだったアメリカ人がそうでなくなって来たような感じがします。 |
| 聞き手: | それは9/11の後の事ですか? |
| 杉浦氏: | そうです。特に空港で感じられます。昔はセキュリティーはあっても、皆感じの良い人ばかりだったんです。互譲の精神に満ち溢れていた。それが今では何となく性善説から性悪説になってきているように感じ、気になります。もう一つ、大きく変わったのは車の運転です。来た当初は「さすがに自動車大国だ」と感心したものです。なんと言っても皆運転が上手かった。私自身もかなり運転には自信があったのですが、その私から見ても流石に上手かった。ところが今では本当にひどいです。 |
| 聞き手: | 最近その互譲の精神が薄れて来た、と言う事でしょうか。 |
| 杉浦氏: | 私が感じているのは競争社会の度合いが強くなったからだと思います。人を押しのけても前に出ないといけない社会になってきたからだと思っています。 |
| 聞き手: | 東電時代の苦労話などあればお聞かせ下さい。 |
| 杉浦氏: | なぜ人事・労務担当の自分がアメリカへ行くのか、と思いました。が、来てみて良く分かりました。当時の事務所は日本からの派遣が6人、現地職員が6人、計12人の所帯でした。日本からの派遣は当然2、3年で日本へ帰り、現地職員は長く事務所で働いている、と言う所から生じた軋轢が目に見えて存在しました。そこで、私は「毎朝ミーティング」と言う物を始めました。これは当時はかなり不評を買ったのですがね、効果有りだったと思っています。ミーティングは特に議題を決めず、自分が今何をしているかという事を報告し合うだけの物だったのですが、お互いの意思の疎通ができ、アメリカ人の現地職員は特に出席率が良かった様に思います。 |
| 聞き手: | 日本とアメリカのビジネスの現場に長く立たれていて、今までのご経験からビジネスカルチャーの違いをお感じになった事や面白いエピソードがあれば教えて下さい。 |
| 杉浦氏: | ビジネスの場での話し合い・交渉事では必ずと言って良いほど日本は負けていますね。日本人はディベートが出来ない、と感じています。色々な場面で思います。有能な通訳の方を介してでさえ、です。反論が出来ないのです。これは英語の問題ではありません。基本的な構えが違います。アメリカ人は前へ前へ出ようとするのです。言わなければいけない、と言う気持ちが感じられますね。プレゼンテーションの仕方が明らかに上手いです。 一方、日本人はプレゼンテーションがうまくありません。資料作りの面では素晴らしいのですが、資料作りが優先され、実際の交渉事がおろそかになりがちです。プレゼンテーションの経験が少ないからだと思います。そして、つい聞く方に回ってしまいます。更に聞く時には「えぇ、なるほど」と相槌を打ってしまいますが、あれは良くないですね。日本人の場合、自分は反対の意見を持っていても「あなたの言っている事は理解した」と言う意味で相槌を打ちますが、その時点でアメリカ人は「賛成している」と見なします。一方アメリカ人は人の話を聞きませんね。このことをあるアメリカ人に話した所「私達はプレゼンテーションの仕方は学んだけれど、リスニングについては学んでいないから」と言われました。だんだんそれが高じてきますと次のような話に結びつきます。 「プロダクトアウト」と「マーケットイン」と言う言葉があります。これは和製英語ですが、品質の事について言っています。良い品質と言うのは良い規格や性能を持ってると言う従来の意味と、それに加え最近では「client’s requirement」つまり、お客様が何を求めているか、と言う事をよく理解しそれに沿って商品を作る、これが最近では「良い品質」と言われるようになってきました。物を作る時や相手に話をする時は全て「プロダクト」しているのですが、それが一方的に「プロダクトアウト」していては駄目だ、と言う事です。「こんなに良い規格なのだから、売れないはずはない」と言っていては駄目です。貿易摩擦の時代には「日本が物を買わない」と言われアメリカからバッシングされました。その時にはアメリカのある会社から「こんなに素晴らしい商品なのに何故買わない」といわれた事があります。こちらの希望に合わないものを無理矢理買わされた事が何度もあります。 もし本当に市場原理を理解しているのであれば「マーケットイン」に徹し、つまりマーケットに身を置いてお客様の声を良く聞くと自ずからどういう物が「良い物」なのかが見えてくるはずです。これが本当の市場原理と言うものですね。 その「プロダクトアウト」の感覚が多くのアメリカ人にありますね。リスニングが下手だと言う所が根底にあるようです。実は「マーケットイン」と言う理論はアメリカが先だったのです。それを日本が輸入して、日本で定着していきました。アメリカでは進まなかったのです。何故日本で定着したかと言うと、日本人の心に「マーケットイン」の感覚がピッタリ合うのですよ。「お客様や話し相手の声を聞く」と言うことが。ところがアメリカでは「主張する事が先」だったので根付かなかったのですね。結局最近になって日本で進んだTQC、TQMはアメリカが取り入れ始めました。アメリカ人にとっては苦痛のようですね、相手の意見を聞く、と言う事は。 そもそも「土地」が日本とアメリカの文化の違いの基盤だと考えています。アメリカは広く日本は狭いですね。19世紀には西へ西へと開拓の歴史がありますね。一ヶ所で開拓に失敗しても、またもう少し西へ行ってみよう、という昔からのフロンティアの精神がアメリカ人の根底にあるように思えます。良い商品を作ってみても売れなければまた自分で考え別の物をどんどん作りだします。一方日本は国土が狭いので入ってくる文化を受け入れ、それを改良する事しか出来ませんでした。そして狭く限られた土地を「一所懸命」に守り抜きました。その土地を捨てて他の土地へ行く事は出来ませんでしたから。今でも一所懸命が日本人の美徳とされていますね。アメリカでいわゆる「アイディア商品」を一度見かけてもその後同じ店へ行っても同じ商品は二度と見られませんね。「改良型」は発売されませんね。同じようにビジネスでも契約を頂きその仕事をお客様へ提出したら、それで終わりになってしまいます。フォローアップは中々しませんね。 |
| 聞き手: | おっしゃった様にリスニングが下手だと言う所から全ての現象に通じるものがありますね。主張する事が良いという側面ばかりを注目されていますが、その裏側には「聞く耳を持たない」ということが存在するのですね。「聞くこと」から生まれるメリットも沢山あるのですね。 |
| 杉浦氏: | そうなんです。聞く事の方が本物に近づくのだと思ってます。 |
| 聞き手: | 日本は昔から外国の良い所を取り入れたり意見を聞いたりしてきましたが、アメリカは他の国に目を向けたり意見を求めたりということはあまりしないですね。 |
| 杉浦氏: | そうですね。野球のワールドシリーズと言うのはアメリカ国内の事ですからね。日本は有史以来、文化や文明は全て外から入ってくる物だと思っています。それをいかに上手く受け入れ、日本人に会うように作り変え上手く使うかという事に専念してきました。鎖国の時代でさえ出島から入ってくる海外の情報はとても貴重なものでした。ペリーの来航の時ですらアメリカの文明を吸収してしまいましたね。 |
| 聞き手: | これらのお話から、日本とアメリカは色々な意味で補完関係があるという事ですね。 |
| 杉浦氏: | その通りです。だから日米関係というのはとても大切なものだと思っています。アメリカで生まれた良い発想を日本で洗練させる、と言うことです。日本では何故、洗練させることが上手だと言うと、一つの仕事をずっと続ける長期雇用があったからで、職人を育てる組織がなくても勝手に育ったのです。世界に冠たる日本の技術は「最先端の技術」ではなく「現場技術」だと思っています。現場技術というのは、例えば機械でボルトを締めても最後には職人の手で最終点検をしたり、出来上がった物をハンマーでたたき、その音から不良品かどうかを見極めたりする事です。日本の現場技術者のレベルは相当に高いものでした。しかし現在はその長期雇用が段々薄れてきているので、心配です。日本が取り入れた実力主義、異常な競争主義の結果だと思っています。特に競争の土台が平等でない場合が多くなってきています。 |
| 聞き手: | 最後にこれからの難しい競争社会で生きていく日本の若い世代、特に日本に住む子供達や、DCに住む子供達に向けてメッセージやアドバイスなどあればお願いします。 |
| 杉浦氏: | 自分の能力を磨くことはこの競争社会で生きていく為には必要ですが、それ以前に私がいつも言う事は「皆、一所懸命だ」と言う事です。他の子供を見て「頭の鈍い奴だ」と思う事があっても、その子はその子なりに一所懸命なんだよ、と言いたいです。他人の心を優しく理解する癖を付ける、と言う事は絶対必要だとおもいます。今の社会は「自由・平等・博愛」の内の自由だけが肥大化してしまい平等と博愛がお座なりになってしまっています。「惻隠」と言う言葉がありますが、「相手の立場に立てる人」になって欲しいと思います。これは理屈で考えても分かりません。小説を読んだりして自分で考えたり創造したりして養われるものだと思います。今の子供達は既にクリエイトされた物ばかりで遊んでいるので、創造力がつかない様に思います。 私の小学校低学年の時、母は私に百人一首を覚えるよう言いました。私は意味も分からず暗記したのですが、思春期に入り、その意味を自ずと理解し、昔の歌人の持っていた気持ちを理解する事が出来ました。 他人の気持ちを理解すると言う事は人に教えられてできるものではありません。子供達は良い記憶力を持っているのですから、小さい時に百人一首や論語に触れさせるのは良い事ではないでしょうか。 |
| 聞き手: | もう一つ最後に、幸先の良いスタートを切られたアメリカでの生活ですが、ご自身にとってのアメリカと言う国への思い入れの様な物があればお聞かせ下さい。 |
| 杉浦氏: | 特にないです。弾みの様なもので10年が過ぎてしまいました。特に大志を抱いてアメリカへ乗り込んだ訳ではありません。弾みに抵抗せずに生きてきました。また一つの仕事をする時もただそれをこなすだけではなく、自分で少しアレンジを付けたりして、つまらない仕事でも少し面白く自分で工夫してみると、結構楽しい仕事に変わるものです。そうやって、人生の流れに任せ、楽しく過ごしてきました。 |
| 聞き手: | 杉浦さんの生き方というのは非常に魅力的で、お手本にしたいと言う方が沢山おられると思います。今回はどうもありがとうございました。 |